武蔵新城スクールの鈴木です。

先日、南武線で見かけた風景についてです。

私立の小学校に通っていると思われる、高学年の子が有名塾のテキストをベンチに座って必死に解いているのを見かけました。
その子は電車が来るなり、並んでいる人を無視して電車に走り込み、空いている席を我先に探し座りました。
そして、またひたすら算数の計算問題を解き始めていました。

なんて、醜(みにく)い子供なんだろうかと思いました。

自分さえ良ければいい、という風にも見えますが、そもそも、彼が重視していることは「宿題を終えること」なのでしょう。

そして、親も「必ずやりなさい」、塾も「必ずやってこい」みたいに追いこんでいることが考えられます。
子供も余裕がないわけですね。

この子は、親に追い立てられて点数はとれるようになるかもしれません。
もしかすると、親の思う、「いい学校」に行ける時もあるでしょう。
ただ、こんな日々を送って、将来いったい誰の役に立てるようになれるのでしょうか。
そもそも、そういう視点を持てない可能性もあります。

宿題をやることが悪いという意味ではなく、それ以前に親が教えることは当然あるはずです。

子供は親に褒めてもらえるような行動をとろうとします。
そうしたとき、点数がどうこうより、誰かに喜んでもらえることをしたら、「すごいね」「よく考えたね」そういうことをほめてあげる方が、よほど、この先の「生きる力」になるでしょう。

昭和のような、3ステージ型(教育、仕事、引退)のような形で生きることはもう、できないわけです。
寿命がさらに延び、今の子供たちが定年を迎える時には、さらに老人ばかりが増え、年金も期待できないわけですから。
引退したのちにまた仕事のように、一生働くようなことになるわけです。
つまり、一つの会社や組織で一生を終えられる方が、今の子供は少なくなります。

それなのに、昭和のやり方をそのまま通用すると思って子供に接したら、子供はかえって露頭に迷うことになるでしょう。

「生きる力」で本当に必要なことは何か。
私も含めてですが、大人は気づいていると信じたいです。