こんばんは。
武蔵新城スクールの鈴木です。

2022年8月21日の日経新聞にこんな表がありました。

OECDデータベースから2021年の年間収入を持ってきます。(単位はアメリカドルです)

 

スペインとイタリアの間に日本があります。
働く時間は倍なのに、ほぼ、給与が変わらないと言うところを見ると、給与に対しての生産性が半分しかないということです。

円に直す必要はありませんが、2021年は大体、1ドル110円ですので、40.8k=約448万円になります。
アメリカは74.7k=約821万円です。
同様に時間と給与で計算すると、約0.43となり、アメリカと比較すると同じ時間あたりの給与の生産性は半分以下ということになります。

昔から日本人はよく働く、と言われておりましたが、今は働いているけど、とにかく給与が安い、という部分が誰もが知る部分です。
2000年はまだ、アメリカの平均給与の72%程度の水準でした。
2021年は、54%程度、つまり半分程度の給与ということです。
参考までに、お隣の韓国にも2015年に抜かれています。

このようになっている原因の一つは、現状の学校教育にあると言えます。

学校の勉強の大半が、「考える」ことではなく、「記憶」と「計算」に大半を割き、そして「長時間」行うことをよしとする形になっていることです。

恐ろしいことに、いまだに日本では数学のテストなどで電卓等を使ってはいけないことになっています。
そのため、定期試験では、カリカリ手計算をするという。
それを見て、欧米の人たちは驚くという話を聞いたこともあります。
つまり、国際的にみて、それは異常だということをやらせているのです。(アメリカの中学は電卓が基本らしいです)

サラリーマンの残業が多いのも、そこから作られた文化でしょう。
「非効率」(カリカリやっている風)に「長時間」働くことが偉いという。
部活もその傾向があります。

もちろん、オリンピック選手になるのであれば、「長時間」は必要なのかもしれません。
それは、全員が必要なことではないはずです。

もちろん、高度成長期時代においては、「量」がものを言ったでしょう。
つまり「長時間」労働が「価値」を生み出しました。

しかし、現在は「質」に転化しないと、「価値」を生み出しません。
(もっとも、長時間働くから「質」が下がっているわけですが)
ところが、学校教育はいまだに50年前と同じことをやり続けています。

同じことを続けたがる一例として、
以前、コロナがはじまりかけたとき、本当は、4月入学をやめて、9月入学にすることもできるはずでした。
ところが、考えの足りない人たちによって、それは阻止されました。4月入学は弊害しかないにも関わらずです。
同じことを繰り返していたら、日本が終わるということをいまだに理解できない人たちが多いということです。

テスラなどを経営するイーロン・マスクにも「日本は消滅する(出生率の件で)」と言われています。
海外の誰から見ても日本は「沈みかけている船」でしょう。

では、「質」を高めるにはどうすればいいのか。

それは、親や教師がしなければならないことは、「いいからやれ」ではなく、
子供の質問に対して真剣にとらえ、考え、答えることです。
ただし、決して答えを押し付けることではありません。
子供の理解などを考え、理解しながら、話し合うのです。

私は生徒たちに対してそのように接するようにしています。
それが「生きる力」になるからです。

「考える」ことを無くした子供は日本と一緒に沈むしかありません。

補足ですが、計算間違いしにくい書き方、方法はあります。
計算間違いが多い子の多くが、途中式が小さくて読めなかったり、どこに計算を書いたかわからないような書き方をしています。
ノートに書く際に、左側に計算式、筆算は別紙(もしくは、ノートの下の方などある特定の場所)、答えは右端、というようにきちんと書くことがまず、第一歩です。