狙いをつけた経済学部の準教授に、それこそ付きまとい、受講可能な授業は全て履修し、手に入る著書は全て読み切って、疑問点があれば直接本人に体当たりするという徹底した彼の戦術が功を奏して、やがて彼は準教授の目にとまります。そうして、いつしか講義後の食事や酒宴の席に呼ばれるようになり、経済学について熱い議論を交わすようになっていったのです。勉強熱心な彼の的を射た質問やアイデアに興味を持った準教授は、やがて大学院生を対象に開いている自身のゼミに彼を特別に招待します。そうして院生たちとも活発な議論を交わしていく中で、彼は着実にその知見を深めていったのです。
学部生である4年の間、彼は精力的に論文を書き溜めていきます。書きたいことが次から次へと湧き出してくる彼は、(あまり誉められたことではありませんが、原稿料をもらって)卒業論文に手こずるクラスメイト3人の論文を代筆したほどです。
彼が最も興味を持ったのは、師事した准教授の研究対象でもある「ゲーム理論」という経済学の比較的新しい手法です。(経済学の専門家ではないので正確な説明は難しいのですが)まるでシミュレーションゲームのように、プレイヤー(会社であったり個人であったりします)を決め、ある特別な状況下で、プレイヤーの行動選択によって経済がどのように動くのかという分析から、最適な行動(解)を導き出していくというような手法です。
その頃には、准教授との関係もさらに深まり、研究室の合鍵をもらって、自由な出入りさえ許されるようになります。彼は、大学のキャンパスに入ると教室ではなく、准教授の部屋におもむき、コーヒーメーカーでコーヒーをいれ、図書館にも置かれていない貴重な蔵書や論文を読みあさります。その頃の彼は誰よりも生き生きしていたと記憶しています。
翼を得た彼の飛躍はもはやとどまることを知りません。大学4年間を東京理科大学で過ごした彼は、准教授にも進められて大学院への進学を決意します。悩んだ末に彼が選んだのは国立にある一橋大学の大学院でした。院試も無事通過して、彼は更なる飛躍のための大きなステップを踏んだのです。思えば、彼が自身の希望した通りの道を進むのは、これが初めてのことでした。小学校時代からの仲間である、開成高校から東大文一に進学した友人は、順調に東大法学部へ進級し、やはり大学院へ進んで環境法を専攻します。一方、桜蔭高校から東大理二に進学した友人は、免疫の研究を志して東大医学部へ進級し、卒業後は日本の医学研究の最先端を行く大阪大学医学部へ席を移します。この時点で彼は、尊敬し憧れてもいた仲間たちと肩を並べたのです。
―つづく