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足して2で割ったのは答えか?

2015-03-20T15:39:08+09:002015年03月20日|武蔵新城|

こんにちは。塾長の鈴木です。色々な物事において、意見が割れる、ということがあります。そうしたとき、その意見の間をとって、解決する、ということがあるかと思います。例えば、ある建物を保存するか、もしくは解体するか、とするとき、間をとって、「半分の高さで残す」など。霞が関近辺を散歩してみても、建物自体は新しいのに、「腹巻き」のように昔の建物の一部を撒きつけているものなどもあります。これも、「歴史的建物」を残したい、という思いと、「新しいものを作ろう」というところの、「折衷(せっちゅう)案」でしょう。そういった建造物が海外の人からすると、異様なものに感じられる、ということを聞いたことがあります。「間を取る」ということが良いとか、悪いとかではなく、それも一つの案であり、それが「和」という文化に思います。

クラス

2015-03-20T02:41:37+09:002015年03月20日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。小学校もあちこちで卒業式ですね。小学校から、中学校というと、やはり結構大きな変化があるように思います。思い返してみれば、「クラス替え」とかありますよね。大人になると、そういった、「強制的なチーム作り」みたいなものはなくなりますが、誰と一緒になるかわからない、そのワクワク感というのも良いかもしれません。大人になると、基本的に選択できるようになるところが違うかもしれません。会社であっても、自分で選ぶわけですし。もちろん、部署の配置替え、というのはあり得ますが、クラスの方がどこか、もっと密な関係だったように思います。今、生徒さん達から色々話を聞きますが、その「クラス」という概念は、小中高だけの特別なものかもしれません。そもそも、全員が同い年というのも本当に特殊な集まりですし。

自分に合う

2015-03-19T03:16:40+09:002015年03月19日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。本当に最近は温かく、花粉三昧ですね・・。まぁ、部屋の中であれば、比較的なんとかなりますが。その人に向いている仕事というのは、その人がその人らしくいられるものかと思います。もっとも、その人がその人らしくいられない仕事であれば、きっと、ストレスで身体を壊してしまうこともあるのかもしれません。もっとも、それは、本当の自分からのメッセージということになるのだと思います。自分の学生時代の友人たちなど、回りを見渡すと、皆、それぞれ、自分に合った、仕事についているような気がします。

答えに気づく

2015-03-18T03:34:14+09:002015年03月18日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。大分温かくなってきましたね。むしろ、暑いくらいでした。本を読んだり、インターネットで調べたりと、自分の何か知りたいことを調べる、ということはあると思います。特に、単純な知識的なものであれば、それらで解決できるかと思います。しかし、その人だけの問題の場合は、なかなか、それでは答えが見つからない、ということもあります。そもそも、ある人にはある答えが適していたとしても、その人にも当てはまるかと言えば、そうとは言えないでしょう。そういった問題の解決策というのは、案外、なんらかの形で、答えは出ていたりします。ただ、そのことにその人が気づけるか、気づけないか、ですね。答えを見つける、ということもありますが、答えに気づく、ということも大切なことです。

バランス

2015-03-17T03:04:14+09:002015年03月17日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。物事には、バランスというものがあります。買い物などにおいてもそういったものは特にありますね。例えば、何でも高ければ良いといえば、それなりに良いかもしれませんが、あるところを超すとあまり変化がなかったり。逆に、安くしていくと、あるところを超えると、逆に、「安物買いの銭失い」にもなりえます。そして、自分の想定している価格とを合わせて、その他にもあるかもしれませんが、いくつかのパラメータを合わせてバランスをとるわけです。仕事一筋も良いかもしれませんが、身体を壊してしまっては、これも元も子もありません。このバランスの面白いところが、一番のパフォーマンス(能力)発するのが、限界点なんですよね。バランスを崩すか崩さないかのギリギリということです。たまに例え話に出しますが、車が一番、グリップ(すべらずに踏ん張る力)を発揮するのは、甲高いスキール音(タイヤが滑るおと)が出ている時で、若干滑ってはいるけど、スリップはしていない、という時なんです。案外、物事もそういった物理現象と同じようなこともあるのかもしれません。

答えは近くにある

2015-03-15T04:15:40+09:002015年03月15日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。さて、高校生の定期試験もだんだんと返ってきたところですね。中学の時の内申点などとは少し意味合いも違いますが、定期試験のおかげで、その時その時に合わせて勉強をする、ということもあるかもしれません。さて、何かの答えを探している時、案外、答えというのは近くにあるように思います。近くというのは、物理的距離が近いことかもしれませんし、心的に近いものかもしれません。少し、簡単な例として、「休日にどこに行こうかな」と考えたとします。もちろん、飛行機を使って遠くに行くのもまた、楽しいと思います。でも、実は近くにも楽しめる場所があったりもします。答えは案外近くにある、ということは良くあるものです。遠くに行ったら楽しくて、近くだったらつまらない、ということもないわけです。自分が一番、しっくりくることを選択すればよいわけです。

問題を良くよみなさい、は通じない

2015-03-14T13:47:35+09:002015年03月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。勉強の苦手な子の多くは、「問題文」を読みません。目で見ただけで内容を把握せずに、すぐに設問に入ろうとします。そのため、「○○でないものを選びなさい」と言われても逆のことを選んでしまったりします。「問題文」を読まない子は、試験はいつも時間が余るくらいですが、点数は全くとれません。そういう子に、「問題文をきちんと読んで」と言ったところで通じません。本人は読んでいるつもりですから。では、どうすれば良いかというと、生活習慣です。結局のところ、普段、どのように生きているか、ということなんです。なんでも、「雑」に扱う子は、問題を解くのも「雑」に解きます。つまり、普段の生活習慣を「丁寧に」することで、問題を解くときも「丁寧に」解くことが出来るようになってきます。問題の解き方というのは、実はある意味、その人の生き方の一面を示しているのです。誤解のないように補足しますが、点数の良い子が生き方においても優れているかというと、それは別の話です。テストの多くは、ただの「知識」を問う問題が殆どですから、点数とは全く関係ありません。ここで、述べたのは、点数ではなく、「解き方」についてです。

2015-03-13T02:40:11+09:002015年03月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今まで、一桁の点数の子を80点台にしたりと、数々の魔法と思われることは毎年のようにやっています。でも実は魔法なんてないんです。ただ、ひたすらに勉強の量を増やして、勉強の方法を教えて、間違えるクセを見つけてそれを直して練習をしているだけです。その時に大切なことは、やはり生徒さんの意識です。意識のある子は上にあげたことで点数は上がっていきます。しかし、いくら勉強量を増やしても、あまり点数がぱっとしない子というのは、そもそも、勉強に対する意識を持っていません。ここの「メンタル」の部分が一番大切だといっても過言ではありません。結局、心なんです。大切なのは教える技術でも内容でもありません。教える側の心が伝わるか、ということです。そのためには、その子の心を受け止める必要があります。

理系

2015-03-12T03:07:49+09:002015年03月12日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。世の中的には、理系の方が少ないはずなのですが、教室にいる今の高1は全員理系に進むとのことです。もちろん、本当に高3になったときにどうなるかはもちろんまだわかりませんが。理系文系というより、まぁ、正直、これは科目の好みですよね。「社会や国語に全く興味がない」という理由で、理系を選ぶ生徒さん達もいますし。私も同じ理由だったのですが、高校時代、社会や国語でどうやったら授業中起きていられるか、とても苦労した覚えがあります。(自分で自分の足をつねってなんとか起きようとするか、得意な科目を解きはじめて目を覚ますか)ただ、今、もし学生をやることになったら、間違いなく、大学は理系を選ばないですね。もちろん、どういうところかわかったからですが。それはそれが悪いということではなく、今度は、違う世界を見て見たいから、という理由です。理系に進んで良かったということとしては、物事の考え方として、理屈で考えることが出来るということでしょうか。現象を見て、仮説を立て、そして確認する。これは、理系の実験の考え方ですよね。もっとも、仮説の方が先だったりしますけど。どちらにしても、それぞれ良さがあるかと思います。色々迷って、選択していけば良いのです。どっちにしたら良いか、本当に迷うならば、実際は、どちらでも良いわけですから。本当に決まっていることは、瞬時に選べるはずです。

何度も書いて覚える、は意味がない

2015-03-11T03:20:41+09:002015年03月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。定期試験もようやく終わり・・というところですが、ここが、力のいれどころですね。勉強を全くしていなかった子が、勉強をするようになると成績は比較的上がりやすいのですが、それなりに「やっている」生徒さんの方が上がりにくい、なんていうことも起こりえます。それは、「密度」なんです。勉強をやっていなかった子であれば、「勉強をやっていない」という自覚がありますので、今までより勉強をする、ということが出来ます。しかし、なまじっか、勉強を「やっている」つもりの子は、時間としては皆持っている時間は増えませんから、ただ気持ちが焦るだけで点数が伸びない、ということもあり得ます。その場合は、「密度」を高める必要があります。勉強をやっているつもりの子で、成績が伸び悩んでいる子というのは、いわゆる、「無駄」なことをやりがちです。本人としては、机に向かって何かをまとめたり、ノートを作ったりするのですが、それは、全く点数になりません。もっとも、成果物が出来るので、「満足感」だけは得ることが出来ます。結局、やらなければならないことは、「演習」をして、「間違い」を見つけて、「間違い」をつぶし、「正解を増やす」ということをやる必要があるのです。例えば、漢字を覚えるでも単語を覚えるでも良いですが、何度も書いて覚えるというのは、非常に効率が悪いです。大切なことは、「覚えているか」どうかの確認が必要なのです。別に同じ漢字を5回書こうと10回書こうと見ながら書いている限り、回数には意味がないのです。ただ、「何度も書いた」ということで、「達成感」だけは得られる、実は「ただの指の運動」をしただけ、になってしまうのです。「記憶」するためには、「ひらがな」を漢字に出来るか、隠して書く、隠して書く、という風にしなければ、いくら書いても身につかないのです。隠して書く、という形でやれば、2、3回で覚えられるものです。「覚える」のが目的なのか、「指の運動」をしているのか、良く考えることです。目的は「覚える」ことのはずです。