武蔵新城

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10年以上前に教えていた生徒さん

2014-09-21T22:09:31+09:002014年09月21日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私は大学を出てから就職して、何年か働いてから大学院に行って~略~・・という経歴なのですが、その大学院生時代には、家庭教師で数人生徒さんを持っていました。ある生徒さんは私が就職してからもメールアドレスの変更の連絡の時だけ近況報告をしてくれていました。10年以上前、当時、高校生だったその子も結婚をしました、という連絡もくれたり、年賀状やFacebookだけですが今でも多少のやりとりがあります。今は、武蔵新城で塾を開いているわけですが、個別指導塾は、学校のようにクラス会というものはありませんが、卒業して何年経っても気が向けば遊びに来れる場所でありたいなと思います。

アイディアの出し方

2014-09-21T04:13:28+09:002014年09月21日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。中学生の定期テストも基本的には返ってきたところです。中3はいよいよ入試が近づいてきますし、中2もその前段階ですね。さて、どんな物事でも、「アイディア」を出す必要があるときというのがあると思います。「アイディア」といっても別にむずかしいことではなく、例えば、ちょっとした自己紹介で何かを話すのでもなんでも良いのですが、すぐ、なんらかの案を出さなければならない、ということはちょくちょくあるかと思います。会議などでもそうなのですが、そういう場合は、まず、口火を切ることです。そして、ホワイトボードにどんどん書き込んでいく。これは、複数人でも、一人でも良いのですが、口に出して書いていくと、アイディアというのはどんどん出てきます。一番ダメなのが、椅子に座って、頭のなかでグルグル考えることですね。あと、案外良く出てくるのが歩きながら。煮詰まったら、少し外に出て歩きながら考えてみると、案外アイディアが出てきます。あと、一番必要な前提としては、「良いアイディアは必ず出る」と確信しておくことですね。そうすると、出てくるものです。

整理整頓

2014-09-20T05:03:54+09:002014年09月20日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。もう、大分寒くなってきました。まもなく10月ですから、紅葉の季節ですね。さて、整理整頓が大切、と言いますが、整理整頓のコツと言えば、使わないもの(一定期間使わなかったもの)をどんどん捨てるということです。古いものを捨てていくから、新しいものが手に入ります。もっといいのが欲しい、新しいのが欲しいと言うのならば、いらないものは処分する。良く使うものは近くに、あまり使わないものは遠くに。これが整理整頓のコツです。ここのブログにも書いたことがありますが、部屋はその人の気持ちを表しています。その人が良くいる部屋が散らかっていれば、気持ちも散らかっています。

ミッションは何か?

2014-09-19T04:16:51+09:002014年09月19日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今はここで学習塾という事業を行っていますが、そもそも、事業を行うのであればミッションというものがあるべきかと思っています。私のミッションは、「人に笑顔と元気を、そして、ハイエナジーコンサルタントであること」です。まぁ、何を言っているか良くわからないことを言っていますが、別にいいんです。元気とは何かと言えば、その人がその人らしくいられることかと思っています。そのうえで、自信を持って前に進むことが出来ることを目標としています。この教室では学習塾ですから、勉強を通じてということになります。

良く目標が必要と書きますが

2014-09-18T03:12:46+09:002014年09月18日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。ここのブログにも良く、目標が必要だということを書きます。テストの点数だって、目標の点数を定めずに勉強するなどあり得ないと。なぜ、目標を定めると良いかと言えば、それによって、具体的な行動が見えるからです。そして、自分を追い込むことが出来ます。そして、やはり、意志の力というか、目標を具体的にすると、非常に叶いやすくなります。その目標というのは、テストに限らず、将来に限らず、もっと近い目標であっても良いわけです。今日、どうするか。今日、何を成し遂げるのか。1日1日の目標というものを決め、1日の終わりに反省し、翌日に活かす。ここまで出来るならば、何をやっても大成できるでしょう。目標を定めないから、「ゲーム」や「マンガ」に長時間逃げることが出来るのでしょう。

復習の大切さ

2014-09-17T03:06:44+09:002014年09月17日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。学校が始まり、ぼちぼち先週のテストが返ってきました。同じ位の成績の場合でも、多少の能力の差というのは確かにあるのですが、同じ位の成績であるならば、当たり前ですが、結局、勉強をした量と成績は大体比例します。基本的に点数を取れる子というのは、「ツメ」をきっちり詰めます。取れると思ったけど、取れなかったという子は、「詰めが甘い」です。とはいえ、「できた!」と思ったけど、点数が取れなかった子というのは実は良い位置まで来ているとは言えます。本当に点数が取れない子の場合は、「できた!」とは思いませんので。解けない問題が多いわけですから。ただ、自分ではできた!と思ったということは、少なくとも多くの問題が「わかった」はずなのです。でも、「詰めが甘い」ので、数学などでは、計算違いをしてしまい、結局点数が出ない。普段からきっちりきっちりやる子は、当たり前ですけども、漏れが少ない。つまり、ある範囲の勉強を教えたら、きっちり、自分でも復習をするので、次から始めるときには、新しい単元に進むことが出来ます。次の授業まで何も復習もしないで授業にのぞむと、また、前の範囲から行うため、いつまでたっても前に進むことができません。ピアノの練習だって同じですよね。どんだけ教え方がうまい先生にならっても、週1回のピアノのレッスンの時にしか練習しない子でうまくなる子なんていないんです。勉強も同じです。このことに早く、生徒さん達が気づくことが非常に大切です。もっとも、社会人になって通う、各種ビジネススクールだって同じですけどね。部活にしたって、人より練習するから人よりうまくなるわけです。他の部員たちと同じことしかしていなければ、同じ程度にしかならないですよね。

自分次第とはいいますが

2014-09-16T02:04:16+09:002014年09月16日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。良くここでも書きますが、結局は自分次第と言います。ただ、他人が関係するものも自分次第なのか、ということがあります。結論から言えばそれも自分次第だと思っています。例えば、ある生徒さんがなかなか勉強しない、それでは成績が上がらない、ということがあったとしましょう。もちろん、塾に通うだけで、週に1回か2回の授業だけで出来るようになる、というのは中学生以上だと難しくなってきます。(受験をしない小学生は週1回1科目でも案外なんとかなります。学校の進捗がゆっくりですから。)生徒さんが勉強をしない、それでも、私たち講師側がなんとかしないとならないわけです。受講していただいている以上、成果を出す必要があります。なんとか成績を上げようと私たち講師側が「夜でも少しみるから」「明日でも早くこれるなら来て」のように、とにかくなんとかしようと、全てをかけて取り組む。炎が燃え移るように、まだ勉強に対する意識が持てない生徒さんであっても、「まぁ、行こうかな」、とだんだんと勉強に対して意識が変わるということがあります。自分がやるべきことをやりもしないで、ただ生徒に勉強しろ勉強しろ、というのでは通じないと思います。言うからには私たちも言うだけのことをしよう、そう思っています。結論になりますが、結局は自分次第なんです。他人の部分も含めて、自分次第ということです。

一歩ずつ自分の頂上を目指して

2014-09-14T22:45:28+09:002014年09月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今頃気づきましたが、一般的には3連休だったんですね。教室は基本的に祝日でも関係ないので・・。さて、勉強をする中で、「目標」が見えない、見つからないという生徒さんもいます。前にも書きましたが、「目標」は見つかるものではなく、決めるものだと。勉強も良く、「やる気が出ない」なんていいます。そういう時には、少し散歩でもしてから気分転換、という方法もありますが、「やる気も出す」ものなんです。結局は自分次第の部分が非常に多いです。勉強に限らず、なんでもそうです。

イヤな事は自分が作っている

2014-09-14T02:56:49+09:002014年09月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。学生時代を思い返すと、何かしら、「イヤな事」が多かったように思います。しかし、今では、「イヤな事」というのは特になく、何かうまく行っていないことがあれば、それは、「課題」というだけでとらえています。学生時代と言えば、たとえば、体育の○○の競技が嫌だなぁ、とか、塾が嫌だとか・・。高校生になって、大分そういった事が減り、大学生になったらまた減って・・社会人になったら、ちょっと、嫌な事だらけになり・・(仕事がうまくいかず)24歳のときにある本を読んで、嫌なことなども結局は自分次第であることに気付き、それからは、本当にある意味安定しています。別に何もかもがスムーズというわけではないかもしれませんが、自分が出来事に右往左往することがなくなったように思います。イヤな事というのは、口に出したりするから、きっとイヤな事になるのでしょう。どんな物事も自分がラベルを貼っているだけだと気づいてしまえば、特に「イヤな事」というのは殆どなくなるように思います。

「○○の為に」は怖い

2014-09-13T04:11:05+09:002014年09月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私が人の心理で怖いと思うものの一つに、「○○の為に、やっている(○○というのは人の名前)」という気持ちです。友人同士や、恋人同士が「相手の為に」一見、普通に見えるかもしれません。友人同士でも、恋人同士でも相手に尽くすということもあるでしょう。何が怖いかと言えば、その「○○の為に」という気持ちは、あくまでバランスが取れている時のみに成り立ちます。つまり、相手が自分の思い通りにならなければ、「なんで、これだけ自分がやっているのに」と思うかもしれませんし、彼氏なり、彼女なりに尽くしていても、相手から「別れて欲しい」と言われたら、裏切られた気分になるかもしれません。つまり、一見「愛情」に見えるものが、「憎しみ」に変わることがあり得るわけです。(本当は情だけで、愛情ではありません。)実は、はじめから、その「○○の為に」という時点で、ボタンを掛け違えているのです。「○○の為に」というのは本来ありえません。全て、同じだけの重さで自分の為です。つまり、「○○の為に」と思っていると同時に、それは自分の為でもあるわけです。先ほどの恋人同士の話にしても、「自分はこれだけしてあげたのに」というのがおかしいのです。同じだけ自分もしてもらっているのです。だから、「○○の為に尽くしている」という気持ちは、本当は自分の為でもあるにも関わらず、それを忘れてしまう。私が他人の話で、「こんなに尽くしているのに」という言葉を聞くと非常に怖いと感じる理由です。それは、自分自身が見えていないということを言っている人が言う言葉だからです。私も、昔から後輩に食事をおごることがあったりしたときも、「おごってあげる」などとは思ったり言ったことはありません。「おごらせていただく」そう思っています。誰かに喜んでもらえれば、それが自分にとってもプラスなわけですから。