こんばんは。
塾長の鈴木です。
人には存在価値というものがあると思いますが、今まで私は、何かしなければ価値が殆どない、そのように思っていました。
先日読んだ本の中で、「心屋仁之助」さんの本で気づかされたことがあります。
心屋さんは、人には存在給というものがあると。ただ、その価値というのは、本人が決めるもので、人によっては、0だとしてしまっている人も多いと。だから、みんな、「頑張らなければ」となる。でも、そんなことしなくても、存在するだけで大きな価値はあるんだと。
それに気づくことが大切、というような意味のことを書かれていました。
これについては、自分自身生き方についてまで、気づかされたことがあります。
存在給、というものは、寝たきりだろうと、何もしていなくても、存在する価値(話の中では、お金ということについて書いていましたが)だと。
私自身、その存在給というものが低いので、なんとかしないといけない、仕事をするならば、死ぬ気でやらなければならない、そのようにこれまでも働いて来ていたように思います。
つまり、仕事でもなんでも、「価値を生まなければ」ということですよね。
価値がないから、頑張らなければ、ではない、ということです。もともと、誰しも大きな価値がある、ということが前提になる。
それを理解しやすいのが、自分の子供を見た時も、存在するだけで大きな価値がある、ということですよね。
別に偉くなってほしいとかは、全くありませんが、その子がその子らしく生きて欲しい、と思います。
生徒さん達に対してもそうですね。
何かのご縁で、何年か一緒に勉強をします。
高校受験や大学受験で卒業する生徒さんもいます。会うことがなくなったとしても、みんなそれぞれに元気で活躍して欲しい、そのように思います。
私は塾を開くにあたって、誰しも無限の力がある、それを伝えたいと思っていました。
でも、それも良いけれども、その人が存在するだけで無限の価値がある。
その方がもっと大切なように思います。