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2808, 2014

人の振り見て我が身を直せ

2014年08月28日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。高校によって面白い特徴があります。ある学校の高校生は、駅などでも、エレベーターを使う比率が高く、他の高校の生徒はエレベーターを使う比率が低いのです。これが何を意味するかはわかりませんが、エレベーターを使う生徒はとにかく楽をしたいということがあるのでしょう。エレベーターを使う生徒たちは、目先の楽を求めています。エレベーターを使わない生徒たちは同じ運動部でも鍛えようという考えがあるのかもしれません。もちろん、高校だけで人の行動を予想することはできませんが、ある程度の心の持ち方の傾向のようなものはあるのかもしれません。もしかすると、目的意識の違いかもしれません。・・・ここまで書いてみて、私自身を振り返ったとき、ある駅において、いままで私は100%階段で登っていたのに、最近では、エスカレーターを良く使い、エレベーターも使ったりしていました。私自身のモチベーションが落ちているのかもしれません。人の振り見て我が身を直せですね・・(汗)

2708, 2014

積み上げるということ

2014年08月27日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。何かを成し遂げようとするとき、どんなときでも、一段ずつ積み上げるしかありません。はたから見ると、途中を飛ばして積み上げたように見えても、それはないわけです。積み上げるスピードが速いとそのように見えるかもしれません。誰でも、なんとか楽をしたい、一番効率の良い道を進みたい、と思っています。そういったことを考えるのは普通のことですし、知恵を使うことも大切なことです。一番問題なのは、積み上げた気になっていて、実は何も積み上げていないことでしょう。積み上げるためには、目標というものに向けて積み上げないと、ただ、ブロックを周りに並べているだけになってしまいます。

2608, 2014

数学が社会に出てから役に立つとは?

2014年08月26日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。一般的に、数学にしても、社会に出てからは使わないもの、という認識があるかもしれません。確かに、中学生の因数分解も、高校生の微分積分も直接使うことはないかもしれません。では、役に立たないのかというと、一番役立つのは、文章等の問題を図にする能力かと思います。数学は、文章題でも、関数の問題でも良いのですが、数学が出来るようになるためには、まず、「図」を描くことです。苦手な子は、文章題を見ても、理解できないとかいいますが、文章で理解しようとするから理解できないのです。数学には、読解力というものは本来不要です。文章を一字一句を図や式に落とし込むだけです。そうすると、わかりやすい図や式が出来ます。数学の面白いところは、文章を読んでも良くわからなくても、図を描くと解ける問題が多いということです。こういった、文章を図にする能力が、社会で、ビジネスパーソンとして活躍するときに必要になります。何かを人に説明するときや、自分が物事を整理しようとしたとき、どうしても、文章だけでは良くわからないことが多いのです。複雑なことを、シンプルにわかりやすくする能力をつける訓練になるのです。私が普段数学を教えるときにも、よくわからない図を描いている場合や答えしかない場合は、答えがあっていても、それは×とします。雑でも良いけれども、人が見てわかるように描く。実はこれが無駄なようで、案外、早くて間違いにくい。数学の途中式や図なんて、自分だけが読めればいい、ということをいつも書いている人は、テストの時に自分の読みにくい字等で、読み間違えや勘違いをします。これもバランスです。図を描くときには、丁寧に定規でも使って書けばいいかと言えば、それも無駄。じゃあ、汚くて自分だけ読めればいいのか、それもNG。定規等は使っている時間はないんです。フリーハンドでもポイントを押さえて描けばいいんです。そのバランスや図を描くポイントを教えることも数学を教える中に含みます。解き方のコツということになります。これが出来るようになると、数学は、自転車に乗れるようになると、もう乗れなくなることはないのと同じで、一桁の点数を取っていた子でも、平均点を割ることはなくなります。通常80点以上はクリアできますが、90点以上となると、さらに本人の取組が重要になります。中学生の子ならば、高校に行ってもそのまま通用しますし、やがて社会に出ても使えます。こういったことがずっと使える勉強方法なのです。答えがあっていれば、○というわけではないのです。

2508, 2014

遊びも仕事も目いっぱい

2014年08月25日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。仕事をめいっぱい出来る人は、遊ぶときもめいっぱい遊ぶことが出来るように思います。中途半端にしないということです。仕事でも勉強でも部活でも良いのですが、ある物事をめいっぱい取り組む姿勢が出来ている人は、遊びに行くことも目いっぱいのことをしようとします。仕事をめいっぱい出来る人は、別に遊びだから適当でいい、ということはないですし、休日は家でゴロゴロなんていうこともあり得ないと思います。確かに普段の仕事が忙しくて、休日は寝ているだけ、という人もいるでしょう。それは、仕事が忙しいのではなくて、仕事がストレスになっているからだと思います。仕事がストレスになっているということは、どこか、ボタンを書け間違えているというメッセージです。もっとも、仕事は休日の為にあるといって、仕事が適当、遊びはめいっぱいという形もおかしな形ですが。それは、たぶん、選んだ仕事が間違っているか、仕事に対する自分の取り組み姿勢が間違っているかのどちらかです。

2408, 2014

他人は自分の鏡と言うが

2014年08月24日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。他人は自分の鏡とはいいますが、いくつかの意味を持っているように思います。私なりの解釈ですが、1.自分が他人に行ったことが跳ね返ってくるという意味の鏡 つまり、自分が他人に親切にすれば、親切にされるし、冷たくすれば冷たくされるということ2.嫌な他人がいれば、それは自分のもつ心の嫌な面を映し出しているだけということ3.自分が思っているイメージで他人はそのように見えること(つまりは自分のある他人への印象が他人に投影される)他にもいろいろあるように思いますが、何にしても面白い現象の一つに思います。

2308, 2014

自分自身を好きになること

2014年08月23日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。若いうちは難しいのかもしれませんが、物事を進めるには、まず、自分を好きになることが必要です。自分を好きになれない人が他人を大切にすることはできません。自分を好きになれないということは、自分の嫌いな面を受け入れたくないからです。自分の一番そばにいるのは自分自身です。まず、その自分が自分の良い面も悪い面も受け入れることが自分を好きになることの一歩です。自分を好きになれないのに、人を好きになることはありません。そして、恋愛などの一時的な感情を除き、人から好かれることもありません。自分を嫌いな人は自分に自信もありません。つまり、自分すらも信じることが出来ない人が、どうして他人が自分を信じてくれるのでしょうか。自分を好きになるとは、自分を受け入れることです。良い面、悪い面含めて自分なのです。悪い面は良い面の違う面です。