100点じゃない。合格点をとればいい。
こんばんは。塾長の鈴木です。資格試験でも、入試でもそうですが、通常、合格するためには、満点である必要はありません。合格点を取るための勉強量と、満点を取るための勉強量というのは、雲泥の差があります。なんらかの理由がない限り、通常は、合格点さえとれば良いのです。例えば公立高校入試であれば、レベルや状況にもよりますが、平均8割取ることができれば、通常は志望校に合格できます。それが具体的にどういった勉強内容になるかと言えば、過去問数年分を数回繰り返して(間違えた箇所にしるしをつけて、2回目以降は間違えたところのみ)、それと公立対策問題集と、5回分位の予想問題、模試も数回繰り返しておけば良いだけです。(回数は生徒さんによって若干異なります)つまり、試験前に何をどれだけやれば良いということは、かなりはっきりと見えるわけです。逆に言えば、それだけで良いわけです。資格試験にしても、○○の問題集を繰り返して完全にしておけば合格できる、というものは多くあります。もちろん、満点はとれないけれども、合格点はとれるということです。とにかくやみくもに新しい問題集に手を出すのはNGです。もちろん、部活等もなく、勉強だけをやっている人であれば、絶対的な勉強量が多いですので、それでも点数はあがるかもしれません。ただ、通常は、部活などがあり、勉強の時間がなかなかとれないのが正直なところだと思います。そうすると、1点集中です。つまり、ある問題集なりは完全にして、そのうえで次の問題集に進むようにします。実はこれが一番効率の良い勉強方法です。過去問にしても、完全な状態に持っていくのです。当たり前のようなことですが、案外中途半端にやっている人も多いように思います。ある問題集や過去問を、大体出来るようになった、と完全に出来るようになった、とでは、使った時間はあまり差がなくとも、結果は全く違ったものになります。大体出来るようになるのに、100時間使うかもしれません。しかし、完全に出来るようになるのに、110時間かもしれません。一般的に繰り返しの部分は加速してきますので、倍の時間がかかったりすることはないのです。しかし、点数では倍の差がつくことだってあるのです。最後のツメをどうするか。ここで差がついてしまうのです。
知る、わかる、出来る
こんばんは。塾長の鈴木です。勉強でもなんでもそうですが、物事にはステップがあります。例えば数学で言えば、ある分野の問題があったとします。ステップ1 公式を知るステップ2 公式がわかるステップ3 公式を使って解くことが出来るこのステップがあります。学校の授業など、いわゆる、”授業”では、”わかる”ところまではできます。しかし、”出来る”為には、自分で繰り返し何度も問題を解いて、完全に解けるようにする必要があります。ここが難しいところで、授業をいっぱい聞いたから、問題が解けるようになるわけではない、ということです。また、授業を聞いていると、”わかった”気になることが出来ます。その状態では、まだ点数にならないのです。自分一人で問題を解いて、間違えたところをやりなおして初めて点数になります。ここが、勉強の怖いところです。学校でも塾でも家庭教師でも良いですが、教えてもらったから解けるようになるわけではありません。それは、”わかった”だけです。たくさんの授業を受けると、”勉強をした。わかった。もう出来る。”気持ちになってしまうことが怖いのです。必ず、自分で繰り返し完全に解けるようになるまで解く、これはすべての科目に言えることでしょう。”出来る”のステップに持っていかなければなりません。学校に通っている人は全員、たくさんの授業を受けています。それなのに、なぜ、点数の差が大きく出るのか。それは、最後のツメである、”演習”という”出来る”ためのステップをどこまでやるかで点数が全く変わるからです。どれだけ優秀な人であっても”授業”だけ聞いて問題が”出来る”ようにはなりません。
読書について
こんばんは。塾長の鈴木です。今日、日曜日はキャリアセミナーの一環で、高校生向けに読書のメリットについてお話しました。読書は良さに小さいときから気づいている人もいれば、一生気がつかない人もいます。読書ほど、短時間で、かつ安価に、役立つ知識を得ることが出来るメディアはないと思いますが、それについてのお話でした。社会人も良く、本を読む時間がない、とはいいますが、本当に本を読む時間がない人はこの世に存在しません。単純に読む気がないだけです。もちろん、読書をしなくたって、一生を送ることが出来ます。本というものは、その人の生きてきた結果得た考えなどが入っているわけですが、本など読まなくても、たくさんの人と出会い、積極的に話しかけ、そして話を聞いていくことで知識や経験を得ることも出来るでしょう。そういった意味で、本は、そういった事が苦手なシャイな人に向いているかもしれません。
目標は見つけるものではなく決めるもの
おはようございます。塾長の鈴木です。昨晩は仕事後に研究室時代の後輩が遊びに来てくれました。遊びに来てくれる人たちは、これから仕事をどのようにしていくかなどを考えているのですが、大切なことは目標を決めることです。ここにもいつも書いていますが、目指すものを決めないから、今の行動が見えないわけです。それは、学生だって同じことです。目指すものを決めないから、暇つぶしのことに時間を使うのでしょう。せっかくこの世に生まれたからには、目標も定めずに山(目標)の周りをうろうろしながら死ぬことはもったいないように思います。大変か、楽かなんて関係ないんです。どっちが楽しいか、ということです。どんな人にもその人にしかできないことがあります。
ストレスとは
こんばんは。塾長の鈴木です。さて、ストレスとは、どこからくるのでしょうか。私は、本来の自分と、実際の自分とがずれているときに生じるものかと思っています。きっと、それは、自分の本当に選びたい選択肢を選びなさいという、自分への自分が発する信号、それがストレスのように思います。ストレスというのは、自分で感じるものです。一見、周りのせいでストレスを感じているようでも、本当は自分の何かによって感じるもののように思います。本当の自分と、実際の自分とが重なっていると、ストレスは感じにくいのでしょう。
目先の小さな得、遠くの大きな得
おはようございます。塾長の鈴木です。もう、朝ですね。日が昇るのも遅くなってはきましたが、もう少しすると、5時台は、まだ暗くなるのでしょう。さて、目先の小さな得と、遠くの大きな得というタイトルをつけました。心理学のプロスペクト理論?だったか、人は目の前の確実な利益を取ろうとし、リスクを負う大きな利益を取ろうとはしない。ただ、その人の状態が負債などのマイナスを抱えている時には、その逆の行動を取るとか。こういった選択というのは、良くあるように思います。例えば、内申点でクリアしたから、推薦をとるか、もしくは、あえて入試にチャレンジするか、なんていうのも似たようなものに思います。これは、どちらが良いというものでもないと思います。その人のそのものに対する想い次第でしょう。世の中、どこの会社も、「チャレンジ精神が大切」などと言いますが、実際、本当にチャレンジ精神を持っている人というのは、殆どいないように思います。全体の1割位でしょうか。チャレンジとは何か。それは、自分で最大限の対策をして、メリットの出る可能性のある行動をとるということでしょう。無謀とチャレンジは違うということです。ギャンブルに大金をつぎ込む人をチャレンジャーとは言いません。なぜなら、ギャンブルは胴元(主催者側)がコントロールするものだからです。私自身、人生の選択において、「目先の小さな得」でいいかな、と思ってしまうこともあります。でも、それを失ってでも、「遠くの大きな得」を目指す方が性に合ってはいるように思います。どうせやるからには、自分の目標を持って、先の見えない事をやってみたい。それが好奇心なんでしょうね。