心配させない
おはようございます。塾長の鈴木です。どんなことでも、誰に対してでもそうですが、やはり、「心配させない」ということは大切なことのように思います。なんらかのことで、誰かを不安にさせてしまうことがあるとするならば、それは、伝えるべき情報を伝えていないときに起こります。例えば、教室においても夜の一番遅いコマは、特に女の子の授業の終わる時間については意識します。点数を1点でもあげたいからこそ、一生懸命教えたい反面、夜遅くなることで、おうちの方にご心配をかけてもまずいわけです。ですので、遅くなるときには、こちらから先に連絡を入れて、了承を頂いた上で授業を延ばす、ということを心がけています。
少しずつ
こんばんは。塾長の鈴木です。さぁ、西中原中の1、2年生の生徒さん達は、定期テスト、そして、高校生もそろそろテスト開始ですね。いかなる結果であれ、自分の行った行動に基づいたものが返ってきます。塾を開いた当初は、中学生がメインでしたが、いつの間にか、小1~高3までと幅広い生徒さん達がいらっしゃいます。それぞれ、小学生で学ぶこと、中学生で学ぶこと、高校生で学ぶこと、皆、異なりますし、目的も違います。比較的、中学生、高校生については似ている部分もありますね。ただ、小学生は、定期テスト対策ではありませんので、あくまで、最初はノートの取り方、考え方からはじまりますね。。もちろん、小学生でも受験生の場合は目標がはっきりしていますので、その演習対策ということになります。みんな、通ってくださっているうちに、どんどん、背だけでなく、心の面でも成長していきます。よく、「あれ、こんなに背が高かったっけ」なんて思ったりすることもあります。その時その時の状況に応じて、皆さんのお役に立てる塾でありたいと思います。
作品
おはようございます。塾長の鈴木です。映画、アニメ、音楽、芸術、様々な”作品”があります。これらの中には、様々なメッセージがあります。その作品を通じて、みんなに伝えたいこと。様々な作品で、やはり面白いのは、「こんなことまでやったの!?」というところです。誰しも、自分という壁があります。「こんなことをやったらまずいかな」「こんなの作ったら、○○と思われるのでは」など。作品で評価されるものというのは、やはりそういうところが「突き抜けている」ように思います。どんな作品でも、「これくらいで」と思って作られたものは良い作品はないでしょう。「これでもか」位でちょうど良いのだと思います。とはいえ、民生品(いわゆる普通の消費者が使う製品)だと、あまりとんがり過ぎると、消費者がついてこないというジレンマもあるようですが。良い作品とは、その人がその人らしく、どれだけあるか、という比率の高さによるのだと思います。
失敗は必要
こんばんは。塾長の鈴木です。早いもので、もう12月ですね。西中原中の1年、2年生は定期テストですし、高校生も定期テストですね。生徒さん達の雰囲気で、大体、どれくらいテストに取り組んでいるかはわかります。生徒さんにもよりますが、波があります。一番多いのが、良い成績を取ったあとに気を抜いて思いっきり落ちるパターンです。男の子に多いように思います。その点女の子の方が、やっぱり真面目に比較的安定して取り組む傾向があるように思います。このままだと、点数が落ちるとわかって、いくら言っても本人の自覚がないと変わることはありません。ただ、長い人生においては、必要な「失敗」もあると思います。「失敗」したことがない人の方が、むしろ怖いと言えるでしょう。
自分を受け入れる
こんばんは。塾長の鈴木です。少し前に深夜(?)のアニメに「ペルソナ4」というものがありました。この物語のコンセプトの面白いところが、「自分を受け入れる」というところにあります。そもそも「ペルソナ」という言葉自体、心理学における言葉であり、自分の外的側面を表す仮面かと思います。さて、なぜこのアニメを取り上げたかと言いますと、人には誰しも受け入れたくない自分の側面というものがあるかと思います。例えば、「怒りっぽい」と思われたくない、または認めたくない人が、他人に「怒りっぽいよね」と言われるとキレます。これは、自分の持つ、ある側面を本当は知っているけれども認めたくないからこそ、強く反応するわけです。しかし、その自分の側面を見ないで生きるよりも、そういう自分もある、ということで受け入れるからこそ、バランスがとれるのだと思います。自分から見て「好きな自分」「キライな自分」いるでしょう。でも、どういう自分がいてもいいんです。全て自分です。もし、認めたくない「自分」がいるのならば、まず、その「自分」を受け入れることです。受け入れると、その認めたくない「自分」が逆に弱まります。「見ないように」すると、ますますその「見たくない面」が強化されます。
謙虚は美徳ではない
こんばんは。塾長の鈴木です。今はあまりないかもしれませんが、「謙虚は美徳」なんて言われたりもします。また、本当になんらかの能力が高い人でも、「いや、まだまだなんです」と言ったりします。私は、本当になんらかの高い能力を持っている人が言うのならばそれは良いかと思います。高いからこそ、少し謙遜する位の方がバランスとれますからね。しかし、本当にそのなんらかの能力を持っていない人が、「いや、本当にまだまだで」というのはどうかと思います。結局、それは、「謙虚」ではなく、「逃げ」のように思うからです。突っ込まれたくないからこそ、「自分はまだまだで」と予防線を張るわけですよね。そんなこといちいち言わなくて良いかと思います。見栄を張る必要もないですが、自分を低くする必要もないでしょう。ましてや、その能力がプロとしてお金をもらっているものであったりすのならば、それこそ「謙遜」ではなく、それは「逃げ」ということになります。