全ての嘘はばれる
こんばんは。塾長の鈴木です。前にも書いたネタですが、たまに、「嘘」をつく人がいます。これは、子供でも大人でもです。私は、全ての嘘はばれると思っていますので、嘘というのはつきません。嘘をつく人の特長として、非常にプライドが高い人が嘘をつくように思います。つまり、自分を守ろうとするためですね。「○○と思われたくない」とかそういうところでしょう。別にどう思われたって良いと思うのですが、そこがその人の弱さなのかと思います。あと、最近あった、嘘では、モノの売買についてですね。恐らく、お店の人はばれないと思っていたのでしょうけれども、そういうのはわかるものです。逆に、残念に思うというところもあります。残念に思うということは、私が人を信じたいからでしょう。そもそも、完璧な人などいませんから、嘘をつかれることがあっても、それもまたよし、なのだと思います。少なくとも自分が嘘をつくことのないようにしよう、という教訓になりますから。
記述系
こんばんは。塾長の鈴木です。最近は、昼間は晴れているのに、夜になると少し雨が降る、そんな日が多いように思います。入試も、定期テストもどんどん近づいてきましたね。もう、やるべきことをやるしかないわけですが。記述系の問題が公立中高一貫、公立高校の試験では多くなっています。公立高校の記述の問題は、自由度はあまりないですが、中高一貫の試験の場合は、わりと自分の言葉で書くことが出来ます。これは、得意不得意というのが結構でますが、やはり、練習している人と、練習していない人とでは大きく差が出ます。試験はたかが45分しかないわけですから、その中で、決まった字数に合わせて書く。これは訓練次第ではありますが、日ごろから文章を読んでいるか、文章を書いているか、人と話しているか、というところが現れますね。
人のせいにするのは、”子供”
こんばんは。塾長の鈴木です。基本的に子供は、何か自分に不都合なことがあると、他人のせいにします。段々と大きくなっていくことで、自分が悪かった、と気づくことができるようになります。なんでもそうですが、「他人のせい」にしていると、いつまでたっても成長できません。「他人のせい」と言っていれば、自分は悪くない、ということになりますので、成長のしようがありませんよね。これは、大人になってからも同じことです。私は、どんなことでも、「自分のせい」だととらえています。その方が、改善の余地もありますし、他人のせいにしたら、終わりだと思っています。
心が躍る
こんばんは。塾長の鈴木です。子供は特にそうですが、めいっぱい動きまわって、疲れたら、バタンと倒れて眠る、そんな毎日を送ります。大人になると、時間という制約がありますので、なかなかそうはいかないかとは思います。しかし、ある意味、本当に心が躍ることをめいっぱいやっている人は、ハイパフォーマンスの結果を出しつつ、それに近い日々を送っていると思います。心躍ることやっている時は、寝る暇だって忘れますよね。眠気も襲ってきませんよね。もっとも、ふっとしたときに、急激に眠気が襲ってくるわけですが(笑)自分の娘などはまだ幼稚園ですが、このめいっぱいぷりを見ていると、自分も見習おうと思います(笑)
具体的に自分を出す
こんばんは。塾長の鈴木です。入試でも、就職試験でも志望理由が聞かれます。入試の志望理由は、就職試験の志望理由に比べれば、何倍もラクです。就職試験は、志望理由や自己紹介で採用の可否を判定するのに比べ、入試はあくまで、通常は補助的なものだからです。入試の時に言う志望理由は、皆、「○○が出来なかったので、○○に入学したら、勉強と部活の両方に力を入れていきます」と殆どの子がいいます。それでは、点数の差などつきません。では、どうやって、差をつけるのか?それは、面接官に「来てもらいたい」と思ってもらうことです。その為には、自分を出すことです。そこまでシビアにならなくても入試の場合は良いかもしれませんが、基本は、志望理由にしても自己PRにしても、「あなたは誰ですか」と聞いているだけです。中学生くらいですと、なかなか自分を出したがりません。でも、人に好かれる人は自分を出します。(もちろん、その逆もしかりですが)自分を出すとは、自分だけの答えを出すことです。部活と勉強を頑張ります、では、自分などどこにも出ていません。頑張るという言葉自体があいまいすぎるのです。部活を頑張るというのならば、○○大会で○位を目指す、など、そういうのが自分だけの言葉なのです。具体的に自分を出すこれは、就職面接にしても、入試の面接にしても大切なことです。
今
こんばんは。塾長の鈴木です。幼児というのは常に、「今」に生きています。何をするにも「今」といいます。だんだん、歳を重ねていくと、長いスパンで物事を見るようになります。ただ、それが本当に良いことなのか、少し疑問にも思います。もちろん、長いスパンで見る必要があるものもありますが、基本、誰しも「今」しか生きることができません。そういう意味では、幼児というのは、生き方の本質をとらえているのかもしれません。