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1802, 2015

身を粉にして

2015年02月18日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。仕事のコツは、「身を粉にして働く」ことです。もちろん、身を粉にするということは、家族をかえりみない、という意味ではもちろんありません。死ぬ気でやれ、ということです。そんなものは、別に誰のためでもなく、しょせんは自分のためです。もちろん、ビジネスとして、世の中のためであることは言うまではありませんが。基本的に、入社して、2、3年でも頭角を現す人というのは、そもそも、仕事に対する覚悟が違います。部活でもなんでもそうでしょう。自分の意識がチームより低く、「これくらいでいい」と思っている人は、すぐに、「疲れた」とか「だるい」とか、何かと文句ばかり言います。逆に自分の意識がチームより高いと、その場をかえって生ぬるいと感じます。そして、チーム全体をひっぱっていこうとします。そして、文句など言いません。覚悟と結果は非常に密接な関係があると思います。

1702, 2015

面接の模範解答は60点

2015年02月17日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。明日は、公立高校入試の2日目ということで、面接です。基本的に、生徒さんが、「こんなことは言ってはダメだろう」なんて思っていることが、実は逆、ということがよくあります。みな、面接も、「模範解答」のように答えるのが良いと思っています。「模範解答」とは、「勉強とスポーツとをがんばります」のようなものです。これを具体的にいうわけですが。これは、良い答えのようで、一番、加点対象にもならない答えです。100点のテストで言えば、60点ですね。そんな誰でも思いつきそうな、薄っぺらいことを言うのではなくて、「自分」を話すんです。中学の間なりに、何に力を入れてきたのか。もちろん、部活なら部活で良いですし、委員会活動なら委員会活動で良いんです。それも、自分だけのことを言うことが大切です。「こんなマニアックなことを言って良いのだろうか」って、思うのかもしれませんが、それを言うから、「自分らしさ」が伝わるのです。後は、志望動機ですが、「大学に進むために~」なんていうのは、まったく志望動機にはなりませんし、それも作ったものでしょう。別に大学に行くだけなら、どこの高校に行ったって大して変わりません。自分だけの理由が本当はあるはずなんです。どうして、それを隠そうとするのか。面接は、いつも言いますが、「あなたは誰ですか?」と聞いているだけです。自分は誰なのか、自分で調べて文章にして、それを他人にわかるように伝える。ただ、それだけです。

1602, 2015

あいさつ

2015年02月16日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。いよいよ明日は、公立高校の入試日ですね。受験生は、できることをめいっぱい、やってきてもらえればと思います。今日、教室に向かう際に、見知らぬインドネシア(?)等の東南アジア系の顔つきをした小学生くらいの男の子が私を追い抜きざまに、こっちをむいて、「おはようございます」と言って走っていきました。もちろん、私も、「おはようございます」と返しましたが、本当に素敵な感じがしました。普通、通りがかりの人に挨拶をする、というのはなかなかないですよね。挨拶というのは、特に何か意味のある言葉ではありませんが、一瞬で、お互いの気持ちを確かめる、魔法のことばです。挨拶がきちんとできる子というのは、それだけでも得をします。もっとも、あまり社交的ではない人は挨拶って苦手ですよね。挨拶は人とのコミュニケーションですから。私も得意とは言えませんが、結構、挨拶は好きです。

1502, 2015

すべてのものには前兆がある

2015年02月15日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私が思っていることの一つに、ある出来事の前には必ず前兆があると思っています。ただ、その前兆に気づけるかどうかは別の話ですが。かつて、エンジニアだった時代にも装置に何か不具合があるときには、なんらかの形で、「?」という現象をどこかで出してくれます。それを「見間違いかな」などともみけすと、あとあと、面倒なことになって障害が起きたりします。これは、装置に限らず、人間関係でも、自然災害などでもそうかと思います。何かが起きるときには、必ず予兆、前兆があります。それを拾えるか拾えないか。それが結果を左右するのだと思います。一見、「いきなり」のように見えるものでも、前もって教えてくれている、どこかに何かヒントがあると思っています。

1402, 2015

努力型と秀才型

2015年02月14日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。いろいろな生徒さんを見ていますと、本当にみな、タイプが異なります。具体的には、理解スピード、定着する比率などさまざまなパラメータがあるわけです。あと、もう一つ。古臭いかもしれませんが、「意志の力」ですね。運動でも、足が速い人もいれば、遅い人もいるように、勉強も、もって生まれた部分というのもあります。勉強も同じで、何か新しいことを伝えても、すぐに理解して、すぐに使えるようになり、かつ定着率も高い。こういう子は難関校であっても、軽々と合格します。その場合、何が何でも合格するとか、そういった意志なども一切もっていなかったりします。ただ、そういう子は、そうそう多くいるものではありません。勉強ができるタイプにも、努力型と、秀才型というか、やはりタイプがあります。先ほどの軽々と何でもこなしてしまうような子を秀才型というとするのならば、努力型というのは、意志の力で物事を達成する、そのように思います。どちらが良いというものではないと思います。背の高い人、背の低い人がいるように、それも個性です。自分にあった方法で目標をかなえればよいのだと思います。そもそも、人のパラメータというのは、運動や成績だけではありません。絵を描くことや、歌を歌うこと、人と話すこと、相手の気持ちを読むこと、思いやりがあること、乗り物の操縦がうまいこと、周りを盛り上げることができること、あげればきりがありません。学校で運動のできたひとや、成績の良かった人が社会人になってからもカッコイイかどうかは別の話です。結局、生き方、考え方次第なわけですから。

1202, 2015

足りないものなどない

2015年02月12日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。自分の環境などにおいて、「あと少し、○○があれば・・」ということもあると思います。その○○というのは、「お金」なのか、「能力」なのか、「人」なのか、なんでも良いのですが。しかし、本当は足りていないものはないように思います。足りていないものは、自分自身が足りていないものです。人が産まれてくると、まず最初に思うことは、「もっともっと」です。幼児を見ていると、「あれも欲しい」「これも欲しい」「全部欲しい」と言っています。つまり、自分にとって、「足りない」状況に目を向けて、それをかなえて欲しい、と思い始めます。そこから、だんだんと大きくなっていくと、持っているものに気付くことが出来るようになります。それに気づくことで、実は足りないものなど、何もない、と知ることが出来ます。そうすると、今度は、足りないとかつては思っていたものが、逆に十分にある環境が作られていきます。そもそも、足りないと思っていたその環境自身、自分自身が「足りない」と感じているから作られたものですし。