答えは近くにある
こんばんは。塾長の鈴木です。さて、高校生の定期試験もだんだんと返ってきたところですね。中学の時の内申点などとは少し意味合いも違いますが、定期試験のおかげで、その時その時に合わせて勉強をする、ということもあるかもしれません。さて、何かの答えを探している時、案外、答えというのは近くにあるように思います。近くというのは、物理的距離が近いことかもしれませんし、心的に近いものかもしれません。少し、簡単な例として、「休日にどこに行こうかな」と考えたとします。もちろん、飛行機を使って遠くに行くのもまた、楽しいと思います。でも、実は近くにも楽しめる場所があったりもします。答えは案外近くにある、ということは良くあるものです。遠くに行ったら楽しくて、近くだったらつまらない、ということもないわけです。自分が一番、しっくりくることを選択すればよいわけです。
問題を良くよみなさい、は通じない
こんばんは。塾長の鈴木です。勉強の苦手な子の多くは、「問題文」を読みません。目で見ただけで内容を把握せずに、すぐに設問に入ろうとします。そのため、「○○でないものを選びなさい」と言われても逆のことを選んでしまったりします。「問題文」を読まない子は、試験はいつも時間が余るくらいですが、点数は全くとれません。そういう子に、「問題文をきちんと読んで」と言ったところで通じません。本人は読んでいるつもりですから。では、どうすれば良いかというと、生活習慣です。結局のところ、普段、どのように生きているか、ということなんです。なんでも、「雑」に扱う子は、問題を解くのも「雑」に解きます。つまり、普段の生活習慣を「丁寧に」することで、問題を解くときも「丁寧に」解くことが出来るようになってきます。問題の解き方というのは、実はある意味、その人の生き方の一面を示しているのです。誤解のないように補足しますが、点数の良い子が生き方においても優れているかというと、それは別の話です。テストの多くは、ただの「知識」を問う問題が殆どですから、点数とは全く関係ありません。ここで、述べたのは、点数ではなく、「解き方」についてです。
心
こんばんは。塾長の鈴木です。今まで、一桁の点数の子を80点台にしたりと、数々の魔法と思われることは毎年のようにやっています。でも実は魔法なんてないんです。ただ、ひたすらに勉強の量を増やして、勉強の方法を教えて、間違えるクセを見つけてそれを直して練習をしているだけです。その時に大切なことは、やはり生徒さんの意識です。意識のある子は上にあげたことで点数は上がっていきます。しかし、いくら勉強量を増やしても、あまり点数がぱっとしない子というのは、そもそも、勉強に対する意識を持っていません。ここの「メンタル」の部分が一番大切だといっても過言ではありません。結局、心なんです。大切なのは教える技術でも内容でもありません。教える側の心が伝わるか、ということです。そのためには、その子の心を受け止める必要があります。
理系
こんばんは。塾長の鈴木です。世の中的には、理系の方が少ないはずなのですが、教室にいる今の高1は全員理系に進むとのことです。もちろん、本当に高3になったときにどうなるかはもちろんまだわかりませんが。理系文系というより、まぁ、正直、これは科目の好みですよね。「社会や国語に全く興味がない」という理由で、理系を選ぶ生徒さん達もいますし。私も同じ理由だったのですが、高校時代、社会や国語でどうやったら授業中起きていられるか、とても苦労した覚えがあります。(自分で自分の足をつねってなんとか起きようとするか、得意な科目を解きはじめて目を覚ますか)ただ、今、もし学生をやることになったら、間違いなく、大学は理系を選ばないですね。もちろん、どういうところかわかったからですが。それはそれが悪いということではなく、今度は、違う世界を見て見たいから、という理由です。理系に進んで良かったということとしては、物事の考え方として、理屈で考えることが出来るということでしょうか。現象を見て、仮説を立て、そして確認する。これは、理系の実験の考え方ですよね。もっとも、仮説の方が先だったりしますけど。どちらにしても、それぞれ良さがあるかと思います。色々迷って、選択していけば良いのです。どっちにしたら良いか、本当に迷うならば、実際は、どちらでも良いわけですから。本当に決まっていることは、瞬時に選べるはずです。
何度も書いて覚える、は意味がない
こんばんは。塾長の鈴木です。定期試験もようやく終わり・・というところですが、ここが、力のいれどころですね。勉強を全くしていなかった子が、勉強をするようになると成績は比較的上がりやすいのですが、それなりに「やっている」生徒さんの方が上がりにくい、なんていうことも起こりえます。それは、「密度」なんです。勉強をやっていなかった子であれば、「勉強をやっていない」という自覚がありますので、今までより勉強をする、ということが出来ます。しかし、なまじっか、勉強を「やっている」つもりの子は、時間としては皆持っている時間は増えませんから、ただ気持ちが焦るだけで点数が伸びない、ということもあり得ます。その場合は、「密度」を高める必要があります。勉強をやっているつもりの子で、成績が伸び悩んでいる子というのは、いわゆる、「無駄」なことをやりがちです。本人としては、机に向かって何かをまとめたり、ノートを作ったりするのですが、それは、全く点数になりません。もっとも、成果物が出来るので、「満足感」だけは得ることが出来ます。結局、やらなければならないことは、「演習」をして、「間違い」を見つけて、「間違い」をつぶし、「正解を増やす」ということをやる必要があるのです。例えば、漢字を覚えるでも単語を覚えるでも良いですが、何度も書いて覚えるというのは、非常に効率が悪いです。大切なことは、「覚えているか」どうかの確認が必要なのです。別に同じ漢字を5回書こうと10回書こうと見ながら書いている限り、回数には意味がないのです。ただ、「何度も書いた」ということで、「達成感」だけは得られる、実は「ただの指の運動」をしただけ、になってしまうのです。「記憶」するためには、「ひらがな」を漢字に出来るか、隠して書く、隠して書く、という風にしなければ、いくら書いても身につかないのです。隠して書く、という形でやれば、2、3回で覚えられるものです。「覚える」のが目的なのか、「指の運動」をしているのか、良く考えることです。目的は「覚える」ことのはずです。
選択
こんばんは。塾長の鈴木です。ようやく、高校生の定期試験も終わりますね。高校生にしても、最近、気になることとして、「ラクな科目はどれか」という基準で科目を選んでいる子も多いように思います。これは、大学生でも言えますね。出席が少なくて済むとか、課題だけ出せば単位がもらえるものはどれか、とか。・・自分が何かを学びたいから、学んでいるはずですが、実際、そういうわけではないというところでしょう。「○○の科目は難しい」とかなんとか言いますが、結局、何が難しいか、何が簡単かは人によって全く異なります。例えば、地理や世界史に全く興味のない子にとっては、社会関係の科目は恐ろしく、困難なものになるでしょうし、逆に物理などは、好きな子にとっては簡単でも、逆に興味がない子にとっては、これもまた困難な科目になるでしょう。関係ないんですよ。何が簡単か、何が難しいとか。いちいち、そういった先輩たちや周りの声に振り回されるのではなく、自分がどういったことに興味があるのか、ただ、それだけで選べばよいのです。あとで、「選んで失敗した・・」としても、では、他のを選んでいたら良かったかなど、全く関係ないし、わかるはずもないことなのです。まぁ、「隣の芝生は青い」というような、おかしな哲学を持っている人は常に後悔し続けるでしょう。自分が選んだ中で最善を尽くす。それに尽きるのです。