何もしないと「疲れる」
こんばんは。塾長の鈴木です。何かをして「疲れた」ということはあると思います。しかし、何もしなくて「疲れた」ということもあるように思います。よく、出張で遠方までの日帰りで「疲れた」と言いますが、私は、自分でも良く体験していましたが、その「疲れた」ということがわかりませんでした。たとえ、交通の便が悪く、片道5時間くらい新幹線や特急を乗り継ぐ場所であったりしたとき、日帰りのときもありました。(場所によっては、飛行機と殆ど時間が変わらない場所もあるのです)そうしたときは、移動中にいくつかの資料を作ったり、本を何冊か読んだりしていますので、全く「疲れる」という感覚はありませんでした。しかし、今日、何時間か、車での移動の為、読書も何もできない状況でした。(私は車で本を読むと酔ってしまうのです・・)そうすると、かえって疲れるんですよね。つまり、飛行機や新幹線の中で、様々な事をするということが実は疲れないようにしていることなのかと思います。「何もしないと疲れる」不思議ですが、これもありますね。つまり、人は適度に何かをするように作られているということなのかと思います。
足して2で割ったのは答えか?
こんにちは。塾長の鈴木です。色々な物事において、意見が割れる、ということがあります。そうしたとき、その意見の間をとって、解決する、ということがあるかと思います。例えば、ある建物を保存するか、もしくは解体するか、とするとき、間をとって、「半分の高さで残す」など。霞が関近辺を散歩してみても、建物自体は新しいのに、「腹巻き」のように昔の建物の一部を撒きつけているものなどもあります。これも、「歴史的建物」を残したい、という思いと、「新しいものを作ろう」というところの、「折衷(せっちゅう)案」でしょう。そういった建造物が海外の人からすると、異様なものに感じられる、ということを聞いたことがあります。「間を取る」ということが良いとか、悪いとかではなく、それも一つの案であり、それが「和」という文化に思います。
クラス
こんばんは。塾長の鈴木です。小学校もあちこちで卒業式ですね。小学校から、中学校というと、やはり結構大きな変化があるように思います。思い返してみれば、「クラス替え」とかありますよね。大人になると、そういった、「強制的なチーム作り」みたいなものはなくなりますが、誰と一緒になるかわからない、そのワクワク感というのも良いかもしれません。大人になると、基本的に選択できるようになるところが違うかもしれません。会社であっても、自分で選ぶわけですし。もちろん、部署の配置替え、というのはあり得ますが、クラスの方がどこか、もっと密な関係だったように思います。今、生徒さん達から色々話を聞きますが、その「クラス」という概念は、小中高だけの特別なものかもしれません。そもそも、全員が同い年というのも本当に特殊な集まりですし。
自分に合う
こんばんは。塾長の鈴木です。本当に最近は温かく、花粉三昧ですね・・。まぁ、部屋の中であれば、比較的なんとかなりますが。その人に向いている仕事というのは、その人がその人らしくいられるものかと思います。もっとも、その人がその人らしくいられない仕事であれば、きっと、ストレスで身体を壊してしまうこともあるのかもしれません。もっとも、それは、本当の自分からのメッセージということになるのだと思います。自分の学生時代の友人たちなど、回りを見渡すと、皆、それぞれ、自分に合った、仕事についているような気がします。
答えに気づく
こんばんは。塾長の鈴木です。大分温かくなってきましたね。むしろ、暑いくらいでした。本を読んだり、インターネットで調べたりと、自分の何か知りたいことを調べる、ということはあると思います。特に、単純な知識的なものであれば、それらで解決できるかと思います。しかし、その人だけの問題の場合は、なかなか、それでは答えが見つからない、ということもあります。そもそも、ある人にはある答えが適していたとしても、その人にも当てはまるかと言えば、そうとは言えないでしょう。そういった問題の解決策というのは、案外、なんらかの形で、答えは出ていたりします。ただ、そのことにその人が気づけるか、気づけないか、ですね。答えを見つける、ということもありますが、答えに気づく、ということも大切なことです。
バランス
こんばんは。塾長の鈴木です。物事には、バランスというものがあります。買い物などにおいてもそういったものは特にありますね。例えば、何でも高ければ良いといえば、それなりに良いかもしれませんが、あるところを超すとあまり変化がなかったり。逆に、安くしていくと、あるところを超えると、逆に、「安物買いの銭失い」にもなりえます。そして、自分の想定している価格とを合わせて、その他にもあるかもしれませんが、いくつかのパラメータを合わせてバランスをとるわけです。仕事一筋も良いかもしれませんが、身体を壊してしまっては、これも元も子もありません。このバランスの面白いところが、一番のパフォーマンス(能力)発するのが、限界点なんですよね。バランスを崩すか崩さないかのギリギリということです。たまに例え話に出しますが、車が一番、グリップ(すべらずに踏ん張る力)を発揮するのは、甲高いスキール音(タイヤが滑るおと)が出ている時で、若干滑ってはいるけど、スリップはしていない、という時なんです。案外、物事もそういった物理現象と同じようなこともあるのかもしれません。