人は信じたいことを信じる
こんばんは。塾長の鈴木です。人は、誰しも自分が信じたいことを信じます。事実かどうかは二の次でしょう。例えば、なんらかのサービスやモノを購入しようとしたとしましょう。「大手じゃないと安心できない。小さいところは信用できない」という考えもあれば、「大手は利益ばかりで信用できない。小さいところの方がが信頼できる」どちらもある1面では事実かもしれませんし、そうではないかもしれません。ただ、誰しも、自分の信じていることを裏付けることを集めようとしますので、自分の信じたい事例ばかり集め、自分の信じたくないことは無意識に見なかったことにします。なので、私は誰かがなんらかの意見を力説しているのを見ると、「この人は、自分のために、そういうことを信じたいのだな」ととらえます。つまり、その意見の内容ではなく、その人がどういう人なのかの判断する際に使います。
主体的が強い
こんばんは。塾長の鈴木です。何事もそうですが、自分自身で、「主体的」に取り組むのと、「誰かが言うから」などと取り組むのでは、結果が全く変わってきます。小学生などは、なかなか、勉強を自分の為、ということをとらえることができません。(たまに中学生でもいたりしますが)親が行けというから、塾にいく、なんていうのだとなかなか成績は上がりにくいです。結局、自分の為に自分が勉強するだけなのです。それに気づいた人から成績はどんどん上がりやすくなります。勉強に限りませんよね。なんでも、「他人」や「周りのせい」にしている人は成長しません。全て、「自分に責任がある」これに気づけるかどうかで、人生も変わってきますね。
偶然はない
こんにちは。塾長の鈴木です。いつも思いますが、「偶然」は何一つないように思います。もちろん、「偶然」の定義にもよるかもしれませんが。とりあえず、本当の言葉の定義はおいておいて、おそらく一般的な意味な意味では、「たまたま」というところで、「必然」の反対の意味、というところでしょうか。もし、本当に「たまたま」なんていうことがあるとするのならば、それこそ、「不公平」のような気がしますし、自分ではどうしようもない、ように思います。でも、それぞれの出来事が「必然」だと考えると、その人なりの対処、今後への対策が作れるようにも思うのです。入試でも宝くじでも交通事故でも出会いでもなんでも良いのですが、いわゆる、「ハプニング」というのは、自分の想いがなんらかに関わっている、と思う方が、面白いように思います。もちろん、誰だって、明日起こることすら予想は出来ないことには変わりませんが。
期待と不安
こんばんは。塾長の鈴木です。皆、もう春休みですね。春休みは短いですが、新しい学年も始まりますからそれも楽しみかと思います。桜もちらほら咲き始めるころです。良く、新しく入学する場合などは、「期待と不安をかかえ」なんていいますが、期待と不安というのはある意味同じ意味なんですよね。単純に物事をどの面からとらえるかということです。まだ見ぬ、未知のものに対して、プラスに見れば「期待」、マイナスに見れば「不安」どちらも同じものをとらえていますが、その人がどのようにとらえているかで変わるものです。これが面白いもので、その人のとらえ方で、その後の結果が変わったりする、なんてことも良くありますね。であれば、楽しみにした方が良いに決まっています。で、マイナスにとらえることについては、腹をくくれば良いのです。
摸試の受けっぱなしは時間の無駄
こんばんは。塾長の鈴木です。卒業生(小6、中3)でない子たちも、もう春休みですね。教室によってそれぞれかと思いますが、こちらの教室では、特に春休みに授業をたくさん入れるよりも、春休みに授業コマを購入しておいて、テスト前に主に使う、という形のほうが多いです。その理由は、春のパックコマの単価の方が通常の1コマずつ追加するよりも単価も安いので、お買い得ですし。また、試験直前の3週間くらい前から各科目に振り分けて取り組むことで密度の高い授業も行えるということもあります。もちろん、普段からコツコツと積み上げることができれば、一番良いですね。ただ、誤解してはならないのが、コツコツというのは長時間机に向かうことでは全くありません。机に向かっていても、ただ、何かを書き写すなど、無駄なことをやっていれば、それはただの指の運動になってしまいます。勉強をやった気分になれるものと、本当の勉強とでは大きな差があります。皆、○つけはすぐしたがりますよね。でも、問題を解いて○つけするだけでは、はっきりいってそれは時間の無駄でしかありません。○つけをして、「どこを、どのように間違えて、どのように対策をするか」まで考えて行わないと意味がないのです。よく、摸試をうけて受けっぱなし、という人がいますが、あれこそ時間の無駄というものです。
カン
こんばんは。塾長の鈴木です。多くの場合、子供の抱えている問題というのは、大人であれば、解決できるということがあると思います。それは、大人の方が自由だから、といったことだけでなく、気持ちの面で、自由だから、ということのようにも思います。自由というか、選択肢が多いから、という風に言えますね。なぜ、そのように選択肢が増えたかと言えば、それなりに経験を積むからと言うことが出来ます。誰しも、それぞれ必要な階段を登ってきているわけで、そして、多くの失敗をしているからです。失敗をしているから、解決策もその数だけ知っているわけです。日本にはありませんが、「長老」などと呼ばれる人がいて、様々なことを解決したというのは、それこそ、経験が豊富だからということになるでしょう。もっとも、経験だけではないですね。ただ、経験だけで物事が解決できるのならば、それはコンピュータの方が得意でしょう。過去の事象と解決策のデータベースを作れば良いわけですから。ある程度、そういったものも出来てはくるでしょうけど、人には「直感」というものがあります。本当のところ、経験もありますが、「直感」という部分との組み合わせで物事は解決されていくように思います。