教え方
こんばんは。塾長の鈴木です。さて、いよいよ新学期も始まりますね。皆、不安と期待とを持って迎えますね。勉強を教えていて思うのですが、やはり科目や考え方による、向き不向きというのはあります。理系、文系という分け方はナンセンスかもしれませんが、ざっくり言って、理系は、割と理屈を理解するのが得意なように思います。理屈を理解するのが得意な子は、理数系の科目を説明しても、砂に水を撒くかのごとく、吸収するのが早く身に着けてしまうことが出来たりします。逆に、理屈を理解するのが苦手な子は、「暗記」でないと、クリアできないです。つまり、どうしてかは良くわかっていないけど、こうすれば解ける、というのを身に着けてクリアする。理数系が好きな人から見ると、公式を見れば、その式の意味がわかるので、応用はいくらでも出来るのですが、いわゆる「理解」が苦手な子にとっては、それが出来ない。そうすると、公式と使い方を丸暗記の方がよほど早く身について、使えるようになります。これは、生徒さんによって、皆、違います。自分は理数系が得意だ、好きだ、という生徒さんでも実はその逆で、「そう思われたい」という気持ちだけで、実は苦手、という子もいます。その部分を踏まえて、教え方を変えていくことが必要です。国語などは、文系の人と、理系の人とで、教え方が全く変わるもののひとつです。理系の人の解き方というのは、いわゆる、理屈でクリアします。つまり、「それ」と書いてあったら、直前を見る、とか、段落ごとに、要点にしるしをつける、とか、機械的に答えを導きだす方法が向いています。いくら、たくさんの問題を解いて、これが答えだ、と言われても全く解けるようになりませんが、機械的にパターンで解く方法を身に着けると面白いように正解できるようになります。これは、読書など全くしない人でも解けるようになる方法です。もともと、小さい時から読書が好きで、本を良く読んでいるような子はそもそも、そんな解き方はしなくても、出来てしまいます。教える人が国語が得意な人だと、逆に、どうしてわからないのかがわからない、ということもありえます。読書などをしていない子でも、点数をとれるようになる、そういったことを教える必要があるわけです。生徒の数だけ教え方もありますね。講師側が生徒に合わせて教え方を変えなければならないのです。これは、私の失敗談でもあるのですが、私はもともと、「暗記」ではなく、公式等も「理屈」で考えるので、速さの問題などで、「はじき」で覚えるということが嫌いでした。そもそも、そんなもの使いもしませんでした。(はじきというのは、速さ、距離、時間の公式の覚え方です)そして、「意味」を理解する方が大切だと思い、ある小学生に教えていましたが、何度やっても解けるようにならない。そこで、「はじき」を使って教えたところ、すぐに使えるようになりました。その子にとっては、その方がベストなわけです。式を理解し、応用できるように、というのは、教える側の自己満足であり、そもそもそこまでは求めていないわけです。もちろん、本当に数学を深めていく場合には必要ですが。ただ、学校の試験が解ければいい、というレベルであったり、その子に向かない場合は、方法を変える必要があると知った出来事でした。
危機感と楽観的
こんばんは。塾長の鈴木です。危機感を持っていない人は、何も達成することは出来ないと思っています。もちろん、学生のうちにそれを持つというのは難しいと思います。学生と社会人の違いは、少し話せばすぐにわかります。社会人を経験していない学生は、基本的に甘いです。危機感が全くない。(もちろん、始めから高い意識の学生もいるにはいます。)社会人といっても、1,2年やっただけでは足りないでしょうけれども、会社によりますね。甘い会社であれば、5年位、自分で気づくまでに時間がかかるかもしれません。自分の甘さに、気づくまでです。もちろん、何でも悲観的にとらえるのが良い、というわけではありません。危機感を持って物事を取組み、ただ、それと同時に「うまくいかせることができる」という楽観的な確信も必要かと思います。勉強は面白いもので、自分から取り組んでどんどん成績が伸びる、という子もいますが、なかなかそうではない子の方が多いです。怖いのは、むしろまじめな子ですね。綺麗にノートをとって、まとめて、「良い子」なのですが、基本的に勉強にはあまり興味がない。だから、ノートを綺麗に書いて、ある意味「サボって」いるわけです。ノートを書いている間は「勉強をしているつもり」になれますからね。ノートは「絵画」を書いているわけではありませんから、いかに早く、必要な要点をしるし、そして、それを「覚える」ことに意味があります。覚えていなければ、綺麗なノートになど、1点の価値もありません。時間の無駄です。でも、家でもし、子供が机に向かっているのを見たら、「まじめに勉強しているなあ」って思ってしまいますよね。でも、その内容が、ノートまとめ、のようなことをやっていたら、無駄な時間にすぎないわけです。覚えるべきことなど、良くできたテキストなどいくらでもあります。それを使って「覚えているか」を確認して、覚えていないところを覚えれば良いのです。「ウチの子は、いつも机に向かっているけど、あまり点数が・・」という場合は、案外、「覚えているか」の部分に重点をおいていない、勉強をしている子です。「覚える」方が大変ですからね。子供も、ラクなことをしたいわけです。綺麗に色をわけて、ノートを書いて、自己満足をする、というわけです。それで、頭には何も入っていないと。結果、テストでは点数がとれない、ということになります。そんなことをやっていたら、いくら時間があっても足りません。大分、始めに書いていたことと話がそれてしまいましたね。
基準をあげる
こんばんは。塾長の鈴木です。どんな物事でも言えることですが、大切なことは、基準を上げるということです。「これくらいでいい」という思いで行ったものは、最低レベルです。学生の間にさまざまな課題があるかと思います。それに対して、意識の低い子は、「出せばいい」などと言います。確かに出せばいいかもしれませんが、何に対して「それで良い」と判断しているのか、ということです。人によっては学校の課題すらやらない人もいますがその人に比べてやったからいい、とかそういうのはあり得ないのです。自分のこれ以上ない、ということをいつも取り組んでいけば、その人は一流の人になるでしょう。こういったことは勉強に限りませんね。何をやっても中途半端な人は、どれも中途半端で終わります。
教わること、教えること
こんばんは。塾長の鈴木です。最近、個人レッスンでドラムを習い始めたのですが、そこでも発見がありました。それは、「教わる側の気持ち」です。教室において、私は「教える側」です。ただ、今回は「教わる側」です。当然、右も左もわからないわけです。そんなとき、「あれが出来ていない」「これが出来ていない」なんて言われたら、誰だって、委縮してしまいますよね。自分はそんなことをしていたのだなと。もちろん、出来ていないことは言わなければならない部分はあるのですが、やはりバランスです。もともと、目立つ能力を持っている子ならば、いくらでも、そして誰だってほめることが出来ます。でも、みんながみんな、そんな能力は持っていないわけですし、そういうときこそ、その子の輝く部分を指摘してあげる必要があるわけです。教える側は、どの内容にしても何百回も色々な生徒さんに教えていることですから、「わかりきって」いるわけです。でも、生徒さん達は、初めて学ぶことなわけですから、その部分を心しなければならない。教室を始めたばかりのころは、いつも意識していたことでしたが、最近、そのことを忘れていたように思ます。大きな発見であり、そして反省です。ドラムを学ぶことよりも、「教わる」ということを学ぶ良い時間でした。もちろん、ドラムは楽しいです。
今を生きる
こんばんは。塾長の鈴木です。たまに、将来に悲観して、自殺をしたりする人がいますが、あれもおかしなものです。将来など誰にも読めないものだし、そもそも、自分が作っていくものですから。そもそも、「今を生きる」ことしか誰にもできません。「将来を生きる」ことは出来ないわけです。もちろん、過去の失敗を何度も思い出して、過去に生きる人もいますが、まぁ、それもおかしなものです。小さい子供は、常に今に生きます。そして、自分の好奇心のままに行動します。あれが、本来人の持つ力かと思います。その状態だと、常にハイテンションでいられるのだと思います。将来に悲観したり、過去の失敗をくよくよする幼児なんていません。案外・・小中学校の時に一番クヨクヨしたりするものかもしれませんね。そして、だんだん歳をとっていくごとに、自分の無限の可能性に気づき、そして、自分で色々な選択をし、より自分が自分らしく生きることができるようになるのかと思います。大人が教えることは、本来そういったことかと思います。
一番伝えたいこと
こんばんは。塾長の鈴木です。私が教室を運営するにあたり、生徒さん達皆に気づいて欲しいことは、「人生は楽しい」ということです。思い通りになること、ならないこともあるでしょう。でも、思い通りにならないこともあるから、楽しいわけです。(人生はゲームですが、敵も出ない、キャラクターは常に無敵、なんてゲームが楽しくないのと同じです。)思い通りになっていなければ、どうやったらそれがかなえられるか、知恵を使い、行動し、対処するわけです。それが人生の醍醐味なわけです。「あれが嫌だ」「これが嫌だ」「不公平だ」なんて、本当にナンセンスです。皆、それぞれに楽しみ方が違うわけです。オフロードカーであれば、雪道は楽しめるでしょうけど、サーキットは楽しめないでしょう。レースカーであれば、サーキットは楽しめるけど、雪道は走れないでしょう。人それぞれ、得意なこと苦手なことがある、それが個性なわけです。誰かのようになる必要なんてないわけです。自分のできる精一杯をやって、物事を解決して自分の思う道を進めばいい、ただそれだけです。