武蔵新城

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武蔵新城2020-03-30T11:35:30+09:00
508, 2015

予定は先に入れる

2015年08月05日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。良く、「○○が出来るようになったら○○をしよう」ということありますよね。それは、スピードが落ちます。逆なんです。予定を先に入れるんです。だから実現できるんです。例えば、何か少し高価なものを買いたかったとします。でも、今の自分にはまだ届かないかな、と思ったとしましょう。そうした時は買えるようになった時に買うんじゃないんです。購入するまでに時間のかかるものだったり、時期が決まっているものであれば、先に予約を入れるんです。そして、それを必ず実現するために行動をするんです。それが目標に向かって進むということです。「いつか、○○になったら、○○しよう」は永遠に叶いません。日本電産の永守さんも、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」と言ってますが、まさにその通りでしょう。

408, 2015

行動するタイミング

2015年08月04日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。様々な状況において、誰しも、判断し、なんらかの行動を選択する、ということがあります。例えば、部活を始めることもそうでしょうし、学校を選ぶことも一つでしょう。同様に、会社を選んだり、結婚したり、または転職をしたりと様々な状況において、判断、選択、行動をします。思い立ったら吉日というのは、私の特技の一つでもあります。確かに、その分、多くの失敗をするかもしれません。でも、間違えたら、それを経験にして次に行けばいいと思っています。今までもそれで、一番面白い選択を出来ているので良いと思っています。もちろん、石橋を叩いて渡る性格の人はそれはそれで良いと思います。これも、別にどちらが良いというわけではないでしょう。ところで、語学を学ぶ、ということは、世界とつながることであるための一つの方法ではあります。私は少し違うアプローチになりますが、生徒さん達に海外の状況を伝えていきたいと思っています。かつて、エンジニアだった時にも、そしてそのあとも、海外を何か国か回っています。(実は来月も行くことにしました。殆ど弾丸旅行ですが。これも思いついたその日に予約を取りました。)私の娘は、1歳になる前から何か国も回っています。そして、私は夏期講習がありますので、こちらに残っていますが、妻と娘も今も海外に出ています。海外に行き、見ることで、気づくこと、本当に多いんです。語学を使えることは大切です。しかし、様々な国を知ることも同じように大切だと思います。思ったら即、行動を起こす。これが、前に進む一番の方法だと思っています。私は、この塾のコンセプトは世界に通用する人材を輩出する、ということで行っています。色々な国を見聞きして、それを生徒さん達にパワポで紹介していく予定ですが、何かをつかんで欲しいなと思います。これからの子達こそ、国内だけにとどまるべきではないと思います。

108, 2015

算数・数学が苦手な子

2015年08月01日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。毎日暑い日が続きますね。生徒さん達の勉強を見ていて思いますが、大体1回見ると、何が出来ていて、何が出来ておらず、何を対処すれば点数がとれるようになるか、ということはわかります。私は主に数学を見ることが多いのですが、例えば中学生であれば、今の単元が出来ないから、点数がとれないのではなく、多くは中1や、小学校の単元でつまづいていることが多いです。学校はあたりまえですが、その子が出来ていようと、出来ていなかろうと、次の単元に進みます。基本的にはまず、計算が合うかどうかです。計算が合わない子というのは、まず、中1の一番初めの正負の数、その次の方程式が出来るかどうか、ですね。そこが本当に出来ていれば、中学生の単元はそれほど困りません。もちろん、図形や関数などありますが、まず、計算が出来ないことには、どの単元を行っても点数になりません。怖いのは、自分はわかっている、出来ている、と思っていて、実は完成度が低いために点数にならないということが多いのです。家づくりと同じで、土台が出来ていないのに、いくら上に積み上げても、完成しないのと同じです。計算は基礎訓練です。ここが固まると、面白いように点数がとれるようになります。何が出来ていないかは、生徒さんによって皆それぞれ異なります。一人一人、間違い方や計算方法を見ているとどこの単元を苦手のまま来てしまったかがわかります。良く、「文章題が苦手で」ということは聞きますが、本当の問題は文章題以前の事の方が多いです。計算が出来ないのに、文章題が正解できるわけないですから。

3107, 2015

飽食と教育

2015年07月31日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。いまさらながら、「わたしはマララ」を読みました。マララさんの訴えることは、一言でいえば「全ての女子にも教育を」ということかと思います。読みながら、今の日本を見た時、飽食の時代といいますが、教育においても「飽食状態」なのかとも思いました。良い本が安く、誰もが手に入れることができることで知識も得られるし、通常は誰しも、幼稚園(保育園)~大学・専門学校まで行くことが出来てしまう。「学ぶ」ということは、ある種の贅沢でもあります。それは、目先の何かを生み出すものではなく、長期的な「投資」であるともいえるでしょう。これだけ恵まれていると、「学校に行けることがなんとありがたいことか」とは思わないのは当然でしょう。今、食べ物においても、健康ブームです。100年前であれば、少しの量で多くのカロリーを取ることができることが、食べ物に求められていました。ところが今は逆にいかにカロリーを抑えた商品であるかを示すことがアピールポイントになっています。では、教育は100年前に比べて何が変わったのでしょうか。どうもあまり変わっていないように思います。教えられた事を理解して、覚えて、テストがあって、順位をつけられる。教えられたことというのは、時代によってもちろん変わる部分もあるでしょうけれども、九九や三角関数が半世紀前と変わることもないでしょう。ただ、面白い事に、世の中に現れた多くの文明の利器が出来た当初からそれほど変わってもいないんですよね。自動車など、100年前と基本的な原理は変わらないでしょう。エンジンがモーターに今後なるかもしれませんが、その程度です。航空機もプロペラからジェットになったこともそれほど大きな違いともいえません。変わっていないというのは、なんらかの推力を利用して、空気の力で上昇し、下降するという原理原則が変わっていないということです。ただ、インターネットに関してだけは、通信や放送というものから大分変化したものになったと言えると思います。ただ、どの文明の利器も少しずつ変化するように、教育においても、きっと少しずつ変化するのかと思います。

3007, 2015

制限

2015年07月30日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。誰しも、様々な事に「制限」をつけています。逆に学生時代は何かと「制限」を学ぶ時かもしれません。ところが、社会に出たら、責任とセットで自由が得られます。それでも、本当は、何だって選択できるのに、自分で制限をつけてしまう、ということは良くあるでしょう。「自分には出来ない」「もうそんな歳じゃない」・・etc言うまでもありませんが、それらは全て不要な考えです。本当に選択したいのならば、選択すれば良いだけです。なぜ、こんなことを書くかといいますと、私自身は、かなり自由に選択しているつもりでありながら、やはりどこか、非常に制限しているような気もするわけです。

2907, 2015

何が良いということはない

2015年07月29日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。早くも7月もまもなく終わりますね。夏休みの宿題も人によってはぼちぼち終わりつつあるかと思います。これは性格が出ますね。基本的に、親は、とにかく早く終わらせて欲しい、と考えます。終わっていない、ということが親自身にとってしんどいからです。ところが、当の子供は嫌なことは後回しにしたいので、なるべく後回しにしよう、とする子も多いので、そこでケンカが起きます。高校生以上になると、あまり宿題がどう、ということについて親とケンカになることもないでしょうけれども、中学生くらいまではここは難しいですね。子供にも自我が非常に出てきていますので、反発しますし、親は親で、まだまだ子供だから教えなければ、としますので、ぶつかるわけです。ただ、それも子供の成長にとって、そして親からの子離れとしても、非常に大切なケンカに思います。本当はどの方法が正解、というものはありません。私はなんでも早めにしないと気持ちが悪いと思うタイプでしたが、私の弟はなんでもギリギリでしたね。しかし、ギリギリでも勉強という成果においては私の何倍も成果を出していました。ギリギリにするからこそ集中力が発揮できる、ということもあるわけです。子供を指導する際にも人によって全く違います。私は、理由もないことの指導には反発を覚えますので、必ず、何かを指導する際には理由を言います。ところが妻は自分の子供に「いいからやりなさい」というような方法で指導をします。これも性格によるものです。妻は学生時代の体育会系の部活などでもいわゆる「決まりをまもる」ということが好きなわけです。そこに理由はいりません。そうすると、「いいからやりなさい」になるわけです。それについて、私はまずいとは思いません。それも一つの指導の方法だと思うからです。私は、それぞれの子供は、親を選んで生まれてきていると思いますので、全て、それぞれに理由があるのだろうなと思います。