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511, 2015

決める

2015年11月05日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。何事もそうですが、「決める」と物事は進みます。「迷っている」うちはなかなかすすみません。そのうち、時期が過ぎてしまうかもしれません。ただ、なんでも決めれば良いというわけではなく、自分に準備が出来ていない、と感じるのであれば、決めなくても良いわけです。でも、その準備が出来ていない、と感じる理由が、具体的な理由ならば、むしろそれは進めた方が良いように思います。漠然と何か進める時ではない、と感じるのであれば、むしろその時には進まない方が良いように思います。車の運転で事故を起こさないコツの一つに、「迷ったら止まれ」というものがあります。ただ、人生はそうとも限りません。「迷ったら進め」でぶつかったとしても、それは新しいアクシデント、出会いなわけですから。

2810, 2015

生徒さんからのお菓子その2

2015年10月28日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今日(日付的には昨日)、大学の合格が決まった生徒さんが御礼にとお菓子を作って持って来てくれました。嬉しいですね。実は、この生徒さんは、今から3年前の高校合格の時にもお菓子を作って持ってきてくれました。本当に早いものです。ついこの間、高校受験の対応や、面接練習をしたら、もう大学受験というところでした。もっとも、生徒さん達もそのように感じるようですが、高校の3年間というのは案外短く感じるのかもしれません。私達大人の3年というのも短いですよね。本当に一瞬です。生徒さん達も、心身ともに大きく成長する大切な時期に、通っていただけるということは、とてもありがたく、またやりがいのある仕事だと思います。

2410, 2015

相手に望むことをする

2015年10月24日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私は他人に対し、「なんで、この人は○○をしてくれないんだろう」と思うことはありません。確かに、一瞬、「○○して欲しかったな」と頭に浮かぶこともありますが、その時は、まず、自分が相手に対してすべきことなのかと思い、逆に自分がそのして欲しいと思ったことを相手にするようにしています。ですので、私は対人関係においてのストレスは全くありません。「他人と過去は変えられない」と言いますが、自分が変われば全てが変わるわけです。まぁ、このあたりはなかなか、人に伝えるのは難しいところがあります。自分が譲歩することかと誤解されますね。そうではなくて、自分の気持ちの持ち方が変わることで、本当に他人を含めて世の中が変わるんですよね。多分、世の中の仕組みというのはそういう風にできているのだと思います。私も人間関係でもやはりたまに失敗をするのですが、全て良い経験になります。次はその失敗をしないようにしよう、という風にレベルが上がるわけです。

2110, 2015

決めること

2015年10月21日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。物事を何か成し遂げたかったら、「決める」ということだと思います。学校の勉強に限りませんが、全てそうです。「決める」から成し遂げることが出来るのです。

1910, 2015

欧州紹介ミニ授業

2015年10月19日|Categories: 武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。今日は、イタリアとフランスの歴史等についてのミニ授業を2回にわけて行いました。短期留学をしていた講師に歴史や文化を交えて説明してもらいました。小学生、中学生の場合はなかなか、目先のテストの点数だけにしか目がいかないとは思います。でも、なるべく若いうちから、日本以外の国があり、そして、それぞれの異なった文化があるということを知って欲しいと思います。そういったことを少しずつ知った上で、今の勉強もより深く理解できるようになるからです。やはり、ただ、暗記暗記だけではテストの点数はあがるかもしれませんが、生きた知識になりませんので。解像度の低い、小さい画像にしていますが、アップします。

1610, 2015

正さ

2015年10月16日|Categories: 武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。「正しい」ということはある意味怖いということを先日ここに書きました。ただ、ある場所、ある時においては、自分の考える「正しさ」というものを押し付けなければならない場合もあります。塾で、「生徒の自主性を重んじる」などと言って、騒いでいる生徒を許したら、それは周りの迷惑であり、本人の為にもなりませんよね。そうすると、私の考える正しさとして、「黙らせる」必要があるわけです。ここは何をする場なのか、ということです。最近、私自身の言葉が厳しくなってしまっているなぁと思う部分はあります。ただ、ケジメが身についていない子にはやはりしつけなければならない、とは思います。ここに何をするために来ているのか、ということですね。自分が振り返っても、色々な事を身につけることが出来たのは、やはり厳しい人のもとで学んだ時なんですよね。ただ、厳しさといっても、何より愛情があった上での厳しさです。私が小学生の時の担任はすぐに怒鳴るし、手も出るし、という先生でした。今の時代においてはもちろんNGでしょう。ただ、真剣に叱ってくれたということは今でも覚えているし、「こういうときに、これをしてはいけないんだな」ということが一生覚えていられる、ということは、それこそ、今となっては本当にありがたいことだと思います。厳しさとは、その子に真剣だからこそ出るものです。真剣にならなければ、別に適当にすれば良いわけですから。