笑顔でいること
こんばんは。塾長の鈴木です。あちこちで桜が見ごろですね。この短い期間だからこそ、特に綺麗に見えるのかもしれません。さて、幼稚園児の娘から、こんな質問を受けました。娘「どうして、お父さんは写真を撮るときに、笑わないの?」私「ん~。どうしてかな・・。」娘「自分の事なのにわからないなんて、変なの。」私「(娘の名)はどうして笑うの?」娘「だって、嬉しいから。」娘は、カメラ(といっても、今はスマホですね)を向けると、いつもにっこりします。この笑顔というものは、人の表情の中で、恐らく、もっとも大切なものなように思います。こういった、人として、一番大切なことは、案外、小さな子供の方が当たり前のように知っているようにも思いました。要は、いつも笑顔でいることが大切だということですね。
春~haru~
こんばんは。塾長の鈴木です。卒業式は殆どの学校で終わり、明日は終業式が多いですね。今日、生徒さん達が、「今のクラスが最高に良いから、クラス替えしたくない。終業式で、絶対泣く。」と言っておりました。まぁ、私は、「いいじゃん。また、新しい出会いがあるんだから。」などと言っているわけですが、生徒さん達は「やだやだ~」と言います。でも、そういうのを聞くと、なんかいいなぁ、と思います。卒業式だけではなく、終業式でも泣くことが出来るというのは、素敵な感性を持っているんだな、と思います。
解のない問はない
おはようございます。塾長の鈴木です。この時期は、卒業式などで新学期の準備も迎えているところですね。解のない問はない、ということを知っているととても物事は楽になります。つまり、ある問題に対して、どうしたら良いんだ、解がないのではないか、と思うと、それは困ったことになりますが、解のない問はない、ということを知っていると、それは楽しみになります。例えば、巨大迷路に入れられて、ゴールはあるかどうかわからない、と言われたら恐ろしいですよね。逆に、ゴールは必ずあるよ、ということを知っていたら、なんとかして見つけ出そうとして力がでますよね。この世に生きている以上、いろいろあるわけですが、でも、それはその人に必要な問が出てきているだけであって、解いてみなさい、と自分で作っているものですね。であれば、見つければいい。ただ、それだけです。
最高の一週間の始まり
こんばんは。塾長の鈴木です。日曜日の今日はお休みでしたので、土曜日夜に自宅に帰り、1日家族で出かけて、妻と子が寝てから今は教室に戻ってきました。私の一番、テンションがあがる時間というのは日曜日の夜なんですよね。それは、この教室で新しい一週間を迎えることが出来るということが、最高に楽しいことだからです。問題が何もないとか、そういうわけではもちろんありません。成績が上がらない子に対して、どのようにアプローチをしていけば良いのか、とか、生徒さん達がどんどん増えてくるけど、講師の手配をどうするか、など、普通に課題はあります。でも、だから楽しいんですよね。課題のない人生など、生きている意味がありませんから。それから、もう一つ。結果にこだわる、大切なことかもしれません。私は、経過の方がよほど大切だと思います。正しい経過であれば、必ず結果はついてきます。間違った経過で結果を得ても意味はありません。本当に「今」を最高にやれることを正しい方法で尽くしているのか。そうであるならば、あるときの結果はイマイチだとしても、のちに必ず望む以上の結果が手に入ります。「結果」がついてきていないのであれば、やり方が間違っている、ということを教えてくれているわけです。「結果」は狙うものではなく、ついてくるもの、そのように思います。ある経営者が、弓の世界の言葉の「正射必中」ということを言っていましたが、そういうことでしょう。
ほめる
こんばんは。塾長の鈴木です。ほめること、というのはとても大切です。これは言うまでもないことです。子供でも、大人でも変わりません。ほめられる、ということは相手に認められた、ということも意味します。むしろ、一番ほめたくない人をほめることが、大切なように思います。それは、ほめる人にとっても、ほめられる人にとっても、意味を持ちます。
わかりやすい人間でありたい
こんばんは。塾長の鈴木です。高校入試の発表も終わり、今は高校生が定期テスト真っ最中ですね。高津高校は先週で、他の橘高などは今週だったりと少し高校によって、ずれていますね。さて、私が心がけている、というほどでもないのですが、人としてこうありたい、ということの一つに、「単純でわかりやすくありたい」と思っています。20代の前半の頃、後輩に「わかりやすかったら、他人に行動を読まれて嫌じゃないんですか」とも言われました。でも、他人から見て「読みやすい」「わかりやすい」というのは、私は相手に「安心」をあたえられるのではないかと思っています。人として不気味なのは、「何をするかわからない人」のように思います。今、特に教室を運営しているわけですから、子供たちから見てもわかりやすい人、と思ってもらえる方が良いかと思っております。この教室が安心できる場であって欲しいわけですし。