すぐそばにある
こんばんは。塾長の鈴木です。挑戦するというと、何か遠くの未来や、大きなこと、というようなイメージがあります。私は、案外、身近なところに題材はあると思っています。もちろん、何か10年、20年かけて目指すものならば、それはそれで大きな目標や挑戦なのだと思います。私は、身近な題材に挑戦できない人は、大きな挑戦もできないと思っています。小さな例で言えば、勉強をしない子にとっては、目の前の30分、1時間の勉強だって挑戦です。学校の宿題を忘れずに出すということも挑戦でしょう。もちろん、自分はこういう理由で一切、出さない、というのも一つの挑戦ではありますが。目の前の挑戦をしないで、何か、将来でかいことをやるんだ、なんて言っていても、何もできないでしょう。自分が、本当はやった方が良いとは思うけど、逃げていることなどに取り組むことだって、挑戦です。勉強に限りません。どんなことにでも言えます。目の前の小さな挑戦の積み重ねが、より大きな挑戦につながります。
挑戦しつづけること
こんにちは。塾長の鈴木です。最近、特に思うことは、「挑戦しているのか?」ということです。大学で教えていることもあり、就活情報も読むのですが、なぜか、例年「コミュニケーション能力」が必要、と企業のアンケート結果ではなっています。「挑戦」なんて言うことは数年前、まだ10位以内にあったように思うのですが、最近は上位に来ることはなかったように思います。それは、アンケートに答える多くの上場企業が「今を守る」という姿勢が強いからのようにも思います。学校にしても、50年前とたいして変わらないことを教えているわけですから、「今を守る」ということが前提にあります。最近は、プログラマーを育てるとかなんとか、プログラマーという「作業員」をつくることも授業に入ってくるみたいですが、本質的には何も変わっていません。少し前に、高校生向けにビジネス講座を何回かにわたって行っていたことがあります。そのITの分野での第一線の人たちに話をしてもらったり、株や投資についてなども含めて、世の中の仕組み、ビジネスの仕組みについて話しました。でも、みんな部活が忙しいとか、興味がないとかで、だんだん、来なくなってしまいます。英語だ数学だと言えば、すぐに来ますが。二次方程式だろうと、三次方程式だろうと、解けたところで、多くの人にとってはなんの役にも立ちません。そんな矛盾は、子供たちだって気づいています。でも、部活だって本当は同じです。バスケでもサッカーでも、そのまま選手になる人はあまりいません。でも、スポーツは多くの子たちが好きですから、そのことについてはあまり文句を言わないんですよね。それでも、ある分野について、必死に取り組むこと、挑戦し続けることで、多くことが得られます。私が、生徒さんたちに伝えること、見せることができることは、「勉強」というものを通じて、「挑戦し続ける」という姿勢です。生徒さんたちに言うからには、自分がそれだけのことをやらないと伝わりません。
めいっぱい
こんばんは。塾長の鈴木です。GW休みの合間の平日ですね。よく、勉強でもスポーツでも、「そこそこでいいや」と思っている子供がいたら、指導する立場の人は、しかりますよね。私も今までも、保護者の方からも相談を受けることも多いです。休みの日に、ゴロゴロしているのが許せない、という話も聞いたこともあります。しかし、しかったところで、なかなか、子供がその通りに「よしわかった!」とはならないことが多いと思います。では、どうすればいいのか。私は、子供は親や周りの人たちの背中を見て育つと思っています。新入社員がよく、仕事もロクにできないのに、悪いところだけは、先輩社員からすぐに学んでしまう、ということもありますよね。ですので、私は自分自身がめいっぱいやっているのかどうか?ということをいつも振り返っています。休日に家でゴロゴロの日など送ったことがありません。きちんと伝えることも大切ですが、指導する立場の人が、どこまで、自分自身がめいっぱいのことをやっているのかどうか、それを振り返ることも必要だと思います。子供たちを見ていると、本当に部活などでも忙しいなぁと思います。学校に行くというだけでも大変な子もいると思います。子供たちも大変だということを分かったうえで、自分自身がめいっぱいの日々を送る。そのうえで、「こうした方がいいよ」と、伝えることが大切だと思っています。
書いて覚えるな
こんばんは。塾長の鈴木です。西中原中が、今年は、定期試験が早いので、GW明けは、すぐに試験対策ですね。さて、よく単語を覚えるというと、書いて覚える、と聞きます。しかし、その方法は、一番、効率が悪いです。何度も紙に書いて覚える、と言いますが、必要な能力は、いかにたくさん書くか、ではなく、いかに短い時間で、多くの単語を、覚えるか、です。何度も書いたところで、横に書いたのを見て書いている限り、「覚える」ことにはなりません。もちろん、ひたすら時間をかければ、そのうち覚えるかもしれませんが、「書く」ということと、「覚える」ということは使う能力が異なります。私が、以前、ある先生から教わった方法なのですが、書くは書くでも、「指で書く」ということがあります。わざわざ、紙に書いていると、横に書いているのを毎回隠しながらならば、悪くないのです。(スピードは落ちます)でも、そんなことするくらいなら、指で書けば良いのです。指で書くということは、実際には書いていませんので、覚えてないと、指を動かせないのです。また、指で書くと書くスピードも実際に書くよりも早いです。「書く」能力と、「覚える」能力は違う、この点に気づいたら、何度も書いて覚えるなどということは、無駄だということに気づくはずです。何度も横に書いてあるのを見ながら書いているのは、ただの指の運動です。ただし、覚えているかどうかを、確認するために、「書く」という作業は、最後に必要です。例えば、日本語を英語で書けるのか、というときに、指で書いたのでは、本当にあっているかわかりませんから。ただ、これを言っても、すぐに楽な「書く作業」にうつる子もいます。書いていると、勉強した気分になりますし、それに記録も残る。覚える作業って、結構、しんどい人にとってはしんどいです。その点、ただ、何度も書けば良い、というのは楽です。そこに逃げてしまう子も多いです。
わかりやすいとは
こんばんは。塾長の鈴木です。私は、自分の授業が、わかりやすい授業であることと、解くことができるようになることの両方を目指して説明しています。生徒さんが、「わからない」となったときに、いきなり解答を書き始めるというのはNGです。もちろん、科目にもよる部分はありますが、少なくとも、数学はしません。まず、その子がどこまでわかっているのかを確認しながら、手間はかかりますが、一つヒントを出して、一歩進んでもらって、もう一つヒントを出して、また一歩進んでもらいます。そして、解答までたどり着いたら、もう一度、似た問題などを今度は自分ではじめから解いてもらうようにします。生徒さんの理解の歩幅に合わせるということです。集団授業だとついていけない、何を言っているのかわからない、というのは、授業はカリキュラムのペースで進めているからです。みんながわかるようなペースというのは、一般的に遅くなってしまいます。ですので、ついていけない子もいるし、ついていける子もいます。問題がわかるようになるにはステップがあります。1.問題の意味がわかる。2.説明してもらえば理解はできる。3.解説を読んだら自分でわかる。通常は、1、2に重点をおいて、授業では説明します。最後のステップとしての3ですが、中3の入試前や、高校生については、特に応用問題において、「解説を見て、どこがわからないか言って」という風にすることもあります。ただし、それはその子があるレベル以上である必要がありますので、基本的にはこの方法は殆ど使いません。なぜ、そのような方法をとるかと言えば、誰かに解説してもらってわかる、というのでは、自分で問題を解き進めることができないからです。問題集の解説を見ればわかるようになると、自分でも、自宅でどんどん進めていくことができます。そして、解説を読んでもわからないところを聞くようにした方が効率が良いです。勉強に初めから前向きな子ならば、普段から自習で解説を自分で読むと思います。でも、解説を読んでもわからないから見ない、という子も多いのですが、本当は解説を見ればわかる問題というのも多いです。わかりやすい授業は、一つ一つ説明していき、出来ていないところまで戻るようにすればできますが、それと同時に、自分で解き進める力というものも身に着けて欲しいと思います。
質で勝てないなら、量で勝て
こんばんは。塾長の鈴木です。色々な生徒さんを見ていると、明らかに記憶力が良かったり、理解力が高い、という子もいます。もちろん、その逆に、極端に覚えられないという子もいます。ただ、そういう子ばかりではないです。差はあるものの、基本的にみんな、持っている能力自体は、そこまで差がないことが多いです。でも、圧倒的な勉強量をこなすことができるのであれば、基本的には、かなり良いところまでいけます。一回教科書目を通したり、一回話を聞くだけで頭に入る子は、余裕があるので、勉強ばかりに時間を割くということはしないですね。その能力を使って、別の分野でも力を発揮したりもします。もっとも、そこにあぐらをかいてしまうと、大した結果も出せなかったりします。自分が普通だという認識があるのであれば、勉強なりに絞って、その子の2倍、3倍の勉強をすれば良いです。ただ、勉強の嫌いな子だと、勉強しろと言ったところで、ただ、机に向かっているだけで、ぼーっとしてしまうなど、意味のない時間になることもありますので、一緒に勉強をするという必要があります。でも、もし、その子が、なんとかしたい、と思えたのならば、そういうぼーっとしているというようなことはなくなっていきます。机に向かうから勉強ができるようになるわけではないですよね。教科書なり問題集にかかれている問題が解けるようになるから、テストでも点数がとれるようになるわけですよね。自分は、この問題集と、この問題集は完璧にした、というような、圧倒的な量をこなしていくと、相当力がつきます。タイトルに書きましたが、質(ここでは、もともとの能力という意味で使いました)で勝てないなら、圧倒的な量(できるようになった量)で勝つ。ウサギとカメの話がありますが、先日読んだ、ある芸能人に言わせると、ウサギとカメなんか勝負にならない、むしろウサギは他のウサギと競争しているんだ、と書いてありました。ただ、人の能力というのは、一つだけではありませんから、もし、その勉強という自分が普通だと思う分野で成果を出してみようと思うのならば、それに圧倒的な量で取り組むのならば、何かが得られるはずです。それは、合格だとか、そういう目先のことだけではなく、一生使えるなんらかの力、です。