勉強のABC
こんばんは。塾長の鈴木です。もう、受験生は公立入試まで60日ですから最後の追い込みです。さて、勉強のABCと書きましたのは、ビジネスでも、ある著者が「当たり前のことを」A,「馬鹿になって」B、「ちゃんとやる」C(それぞれのローマ字の頭文字)と言われています。勉強も、全くその通りだと思います。なのにどこかに、「幸せの青い鳥」がいるんじゃないか、「王道(楽な道)」があるんじゃないか、うろうろする人もいます。そんなものないんです。この世のどこかには、もしかしたらあるかもしれませんが、そんなことをするくらいなら、まず目の前のことに死ぬ気で取り組めば良いのです。それすらできないから、何一つできないのです。皆、なんのためにこの世に存在しているかと言えば、それぞれの課題を解決するために出てきているわけです。それがなんの課題かは知りませんが、それを避けては通れないわけです。だったら、正面から立ち向かうしかない。人生だって、仕事だって、勉強だって、結局はそういうところに落ち着きます。案外、人生のコツというのは、上に述べたABCのようにシンプルなんだと思います。
「どうせ自分は」
こんばんは。塾長の鈴木です。中学生などで、「どうせ自分は」と投げている子もいます。どうやったら、そんな考えになれるのかな、と思います。本当のところ、「頑張りたくない」から、そういう考えに陥っているようにも思います。努力したらできる、ならば努力しなければいけなくなってしまいます。ところが、自分は頭が悪いから出来ないんだ、と思いこんでいれば、努力をしないですむと考えるようです。人は誰しも、寿命がくる寸前まで変わり続けることができるし、やりたいこと、成し遂げたいと思い、確信して行動することは、ほぼ全てかなえられます。どうして、そんな当たり前のことを知らずに生きている子供たちが多いのか。子供たちと接していて、私が伝えたいことというのはそういうことです。本当に伝えたいことは、解の公式でも、三角関数でもありません。不平不満をいつも言いながら、「どうせ自分は」と思う子に、「自分なら出来る、やり切る」ということを伝えていきます。
自分事でとらえる
こんばんは。塾長の鈴木です。大分、入試も近づいてきましたので、ある意味、「きな臭く」なってきたように思います。成果を出せるかどうかは、どれだけ現状を、「他人事」ではなく、「自分事」でとらえることができるか、というところにかかってきます。単純に分けることのできるものではないですが、女の子の方が、危機などを早く察知して、前もって手を打とう、という子が多いように思います。男の子は、中1くらいだと、意識も小学生と殆ど変わらない子も多いように思います。つまり、甘えん坊が多い、そんな感じでしょうか。それを見て、一番、ヤキモキするのが、多くの場合、「お母さん」、だと思います。「自分は、そんなひどくはなかった。」という意識もあります。このギャップは難しいところです。その人その人、その子その子で、持っているものが異なります。子供は親と同じようにはできませんし、する必要もありません。子供には子供の生き方があります。本当に伝えなければならないことは、知識などではないと思います。それは、愛情です。知識は、一時的なものですが、愛情を受け取った子は、また、周りにも愛情を配ることが出来ます。
なんのために開いているのか
こんにちは。塾長の鈴木です。私が仕事をするときに常に根底にあることは、「それは、誰の何の役に立つのか」ということがあります。子供たちに、「どうして、塾を開いたの?」と聞かれたときには、「大学院時代に、結構、家庭教師とか塾講師とかやっていてね。それが面白かったからだよ。」とは答えます。その根っこにあるのは、別に塾かどうかではなく、ただ「誰かの役に立ちたい」というだけです。なぜ、そう思うかについては、これは、空気を吸うのはなぜか、くらいのもので、殆ど生まれつき、だと思います。多分、言うまでもないことなので、誰しもそうなのではないかなと思ってはいます。もっとも、本当のところ、「役に立たない人」というのは存在しないと思います。そもそも、何をもって、「役に立つ」と言えるのか、ということもあります。それは、その都度中身が変わるものなのだと思います。今、開いているのは「塾」ですから、勉強ができるようになりたいから、通っている子も多いです。でも、そのときそのときによって、必ずしも、「勉強のため」だけではない時もあるように思います。小中高の子供たちにとっての、悩みがあったり、聞いて欲しいことがあったり、逆に聞かないで欲しかったりすることもあります。よくあるのですが、勉強したくない、という子は、ただ、「やりなさい」ではなく、「なぜ、したくないの?」と話を聞いていくことが求められます。もちろん、その子によって接し方は変わります。子供たちより、当然歳をとっているわけですから、何かアドバイスできることもあると思います。困っていることを見つけて、何か力になる。これが、「役に立つ」ということなのかと思います。
勉強の段階
こんばんは。塾長の鈴木です。ようやく、明日で、橘中の定期試験が終わります。これで、西中原中、宮内中、高津中、東高津中といった、地域の子たちの定期試験が全て終了です。明日以降、定期試験が返ってくるのかと思います。テストについては、いろいろ考えさせられるものがあります。返ってきた答案を見れば、単純に、点数の良しあしだけでなく、それぞれの生徒さんが、どこで点数をとれるのか、どこで点数を落とすのか・・。その確認はできます。その結果、その子ごとの対策がわかっても、その子にどうやって、対策の形で取り組んでもらえば良いのか、というところも一つの課題になります。こちらでの個別の授業一つとっても、その子ごとに段階があります。1.机に向かうことができる2.目の前の問題に向かうことができる3.話を聞くことができる4.質問することができる5.解くとき、話を聞くときには集中することができる6.解いた問題は家で復習をして解けるようにできる7.自分でさらに宿題以外の問題集等を解いて練習することができる番号を付けられないので、0にしますが、0.点数を取りにいく気持ちがあるざっくり、こんな段階でしょうか。面白いのが、小1でも、はじめから1~5はクリアしている子もいます。逆に中学生でも、1しかクリアできない子もいます。特に男の子で多いです。中学生の場合は、小学生の時に自分は勉強が苦手だ、という意識を持ってしまうことが原因なのかもしれません。
何度も書く指の運動だけでは意味がない
こんにちは。塾長の鈴木です。西中原中は、今日から学校が始まりました。橘中は来週からですね。特に、西中原中は、定期試験が31日から始まりますので、自習に来ている子達もいます。勉強の仕方を見ていると、どうも変な勉強方法が時々見られます。勉強が苦手な子に多いのですが、例えば、漢字を覚えるといったら、ただ、何度も書いています。それで、何回か書いて、終わりにします。これでは、意味がないです。指の運動というやつですね。確かに、学校の宿題などは、そういう種類のものも多いでしょう。大事なことは、何度書いたか、ではなく、書けるようになったか、ということです。つまり、覚えたかどうかの、確認が重要なわけです。まとめますと、①覚えるために書く②覚えたかどうかの確認をする③間違えた個所にしるしをつけて、確実に覚えるまで練習をするこの形です。実は、多くの科目でこの方法は使えます。資格試験などでも限られた時間の中で、確実にある範囲を覚える、というものです。ただ漠然とやっていても仕方がないわけです。ここのブログでも何回か書いていますが、「指の運動だけにするな」とはよく自習の子にいいます。書くだけの方がラクですから。本当は子供たちも、覚えなければ意味がないことは知っています。ただ、覚える作業というのがイヤなんですね。