【教室レポート】10.25
【14年の積み重ね】2004年に次世代ゼミ「ファインズ」として国分寺の地に校舎を立ち上げてから間もなく14年が経とうとしています。私たちスタッフが送り出した卒業生たちも高校、大学、そして社会人へと立派に成長しております。そんな彼らが必死に自分たちの目標に向かって勉強をしていた時期を、私たちは見ていました。そして、彼らの必死な身体を、文字通り『支えて』いたのはファインズの優秀な大先輩でした。時には一日に何時間も同じ生徒の下敷きになったり時には3つも並べてベッド代わりになったり時にはお弁当をひっくり返されてハンバーグ臭くなったりその思い出は尽きることがありません。開校からたくさんの生徒たちを支えてきた大先輩たちも、いよいよ14年の歴史を経るに従って、あちらこちらに傷みが出てきました。いよいよ生まれ変わる時です。ファインズの大先輩は今年、一つ一つ感謝の思いを受けながらスタッフの手によって生まれ変わります。落ち着いた淡いグリーンの姿から集中を促す鮮やかなブルーの姿へとこれからは歴代ファインズ生の重みを知る大先輩の意思を継ぐ二代目たちが、たくさんの生徒たちを支えていきます。ファインズ国分寺スクール谷廣
「志あるところに道は拓かれる③」(石)
もちろん、彼の進もうとする道は決して平たんではありません。今でこそ中央大学附属高校は、条件付きながら外部受験を勧める進学校の色合いも見せていますが、当時は、中央大学へのパスポートを手に入れて高校生活をエンジョイする空気。まさに孤軍奮闘の彼は、時折、開成高校から東京大学を目指す仲間と連絡を取り合って士気を高めていたようです。 やがて3年が過ぎ、高校受験のリベンジとなる早稲田・慶應に目標を定めた彼の3度目の受験の季節が訪れます。ところが、深い決意も真摯な努力も虚しく、またしても彼の受験は失敗に終わったのです。開成・桜蔭の友人が、それぞれ東京大学の文科1類・理科2類へと無事進学を果たす一方で、中央大学進学の権利も失い、大学受験に失敗した彼は、その後1年間の浪人生活に突入します。 瞬く間に過ぎる1年。次なる彼の目標は、現役時代に準備が間に合わず諦めた国立大学、そして3度目の挑戦となる早稲田・慶應です。 浪人生として挑んだ彼の大学受験。結果はどうであったかというと、国立大学・早稲田大学・慶應大学と、目標の大学の受験に失敗し、辛うじて東京理科大学の合格を手に入れて幕を閉じます。今でこそ、早慶上理などと言われますが、当時の東京理科大学の評価は決して高くはありません。その、新設間もない経済学部に、彼は進学することになります。 大学受験が終わって間もないころでした。彼が、一人でぼくを訪ねてきます。 「大学生活を有意義に過ごす心得を教えてください。」 我が身を振り返ってみると、4年間、教員免許を取得するという目的以外のすべての時間と体力を体育会系の部活動に注いだぼくに、偉そうに語れる大学生活の心得などありませんでした。そこで、アドバイスとしてではなく、ひとつのアイデアとして、ぼくは彼にこう伝えました。 「これは、と思った教授に付きまとうというのはどうかな。その教授の講義はすべて受講する。そして、時間外にも質問をしたり、相談を持ちかけたりして、特別なパイプを作れば、そこから、普通に過ごしていたら得られない何かが得られるかもしれない。」 驚いたことに、彼はそのアイデアを忠実に実行したのです。ターゲットは、経済学の最先端の研究に従事する一人の準教授でした。まるで足踏みするようだった彼の人生が、そこから大きく動き始めます。長すぎた助走は大きな飛翔を約束するとでもいうように、やがて彼は力強い翼を手に入れていきます。―つづく
「中秋の名月」について
10月4日は「中秋の名月」。皆様はご覧になれたでしょうか?「中秋の名月、十年のうち九年は見えず」とも言われ、秋の長雨や台風の影響で中々顔を出してくれないことが多く、やはり今年も雲が中々とれず、夜遅くになってようやく顔を出してくれました。中秋の名月は、旧暦8月15日から16日の夜に見られる月を指します。旧暦では7月~9月を「秋」とします。この季節の細分によれば、「8月」は秋の真ん中で「中秋」となります。旧暦の暦月の日数は29日か30日のいずれかですから、15日は暦月の真ん中の日と考えることが出来ます。旧暦の8月15日という日は、秋の真ん中の月の真ん中の日、つまり秋全体の真ん中の日と考えられますから、この日のことを指して「中秋」と言うこともあります。旧暦は太陰暦の一種ですから日付は空の月の満ち欠けの具合によく対応します。月の半ばである15日の夜の月は必ず満月か満月に近い丸い月が見えることから、「十五夜の月」 = 「満月」と考えられるようになりました。中秋の日(旧暦8月15日)の夜の月も、当然満月かそれに近い月です。中秋の日の夜に澄んだ秋空に昇るこの丸い月は、やがて中秋の名月と呼ばれるようになり、これを観賞する風習が生まれました。また、秋は収穫の時期でもありましたのでその年の収穫物を月に供える風習が各地に残っています。「芋名月」などの呼び名はここから生まれたものだと考えられます。現在、月見団子を供えるのは、芋を供えた風習の変形だと考えられています。最後に、中秋の名月が見られる日は必ず「仏滅」です。それ故、中秋の名月の別名は「仏滅名月」といいます。「大安」「赤口」「先勝」「友引」「先負」「仏滅」は「六曜」とよばれ、この六曜は、(月+日)÷6の計算結果のあまりで決定できます(あまりが0ならば「大安」、あまりが5ならば、仏滅といった具合になります)。中秋の名月は8月15日。したがって、(8+15)÷6=3…5.あまりが5なので、必ず「仏滅」となります。以上、「中秋の名月」の豆知識色々でした。(撮影:松下)
10月ラボ「カエルの解剖」
10月14日(土)今月のファインズラボは「カエルの解剖」でした。人体の構造についてレクチャを受けた後、いよいよカエルの解剖。ひとつひとつ観察しながら、脂肪を取り除き、卵巣を取り除き、肝臓と胆のう、心臓、肺、消化管と腑分けしていきます。最後に、骨格と神経を観察して終了。丁寧で、しかも手際のいいラボ生たち。しっかり時間内に終了しました。
「志あるところに道は拓かれる②」(石)
中学受験から3年。高校受験にステージを移した彼の真価が問われる2月が、再び訪れます。 目標である早慶附属校入試の皮切りは慶応志木高校。充分に力を発揮できずに慶応志木高校の入試に失敗した彼は、けれども、顔色ひとつ変えずに、集中を切らすことなく、残る早稲田高等学院・慶応義塾高校の試験に立ち向かいました。 慶応志木高校・中央大学附属高校・早稲田高等学院・慶応義塾高校。都立受験を予定せず私立に絞った彼の高校受験は瞬く間に終了します。けれども、彼の手に残ったのは、中学受験と同様、残念ながら滑り止めとなる中央大学附属高校の合格だけだったのです。 やがて高校1年の秋を迎え、中学受験を共に闘った塾の懐かしいメンバーを集めた同窓会が開かれました。高校1年生とはいえ、集まったのはそうそうたる高校の生徒たち。開成高校・桜蔭高校・巣鴨高校・桐朋高校。進学校に在籍する生徒たちの話題は、早くも大学受験です。その席上に、彼の姿もありました。 驚いたのは会の終了後です。高校受験からわずか8か月。中央大学へのパスポートを手にして附属高校に進学したはずの彼が、突然のように大学受験への挑戦を宣言しました。さらに驚いたのは、かつての戦友たちが、それをたしなめたり笑い飛ばしたりするどころか、一緒に頑張ろうと固い握手を交わしたことです。「ぼくは、あの素晴らしい仲間たちと、いつまでもどこまでも互いを磨き合っていきたい。ただそれだけなんです。先生、応援してくれますか。」 その夜、かかってきた電話で、彼はそう言いました。ぼくが気になっていたのは彼の決意の深さ、それだけです。一時の高揚感に浮かされて道を誤るなら、あるいは立塞がることもぼくの役目ではないか、と考えていた矢先のことでした。「ぼくは君の応援団だ。選手が立ち上がって走るなら、声を枯らして応援するだけさ。」そんなぼくの言葉に声のトーンを上げた、彼の歓喜が伝わってくるようでした。―つづく
「志あるところに道は拓かれる①」(石)
今年で44歳となる彼は、過去には筑波大学で准教授として、そして現在は早稲田大学に籍を移して後継の指導にあたる一方で、若手の経済学者としても将来を期待されてきました。けれども、彼はいわゆるエリートでは決してなく、振り返ってみれば、10代の頃の彼の人生のほとんどが挑戦と失敗の繰り返しでした。彼にもし才能と呼べるものがあるとしたら、それは志を捨てないこと、決して挫折しないことです。 彼との出会いは、彼が11歳、小学校5年生の時までさかのぼります。成績は上々だったのですが、ツワモノぞろいだったその学年の中では特に目立つ存在ではなく、やがて6年生になっても3クラス体制の2クラスに所属する生徒だったのです。第一志望は桐朋中学、併願校は新宿の成城中学でした。彼と共に闘った2年間は瞬く間に過ぎ、1クラスからは開成中学2名、桜蔭中学1名、桐朋中学3名、巣鴨中学1名、立教女学院中学2名、立教池袋中学1名、おまけに鹿児島ラサール中学2名というような華々しい結果が出たものの、彼の受験は1勝1敗。目標だった桐朋中学には届かず、成城中学の合格を手に入れて終了しました。ところが、自分の闘いに決して満足していなかった彼は、成城中学へは進学せず、地元の公立中学へ進学し、目標を高校受験にスイッチして、再び闘いの渦中へ身を投じていくことになります。 中学1年生になった彼は、そこは中学受験組の強みで、いきなり先頭集団の仲間入りです。最後まで2クラスに甘んじた中学受験のときとは違います。3年間をトップクラスで闘い抜き、目標を早慶の附属高において、いよいよ彼の雪辱戦が始まります。― つづく