こんばんは。
塾長の鈴木です。
いまさらながら、「わたしはマララ」を読みました。
マララさんの訴えることは、一言でいえば「全ての女子にも教育を」ということかと思います。
読みながら、今の日本を見た時、飽食の時代といいますが、教育においても「飽食状態」なのかとも思いました。
良い本が安く、誰もが手に入れることができることで知識も得られるし、通常は誰しも、幼稚園(保育園)~大学・専門学校まで行くことが出来てしまう。
「学ぶ」ということは、ある種の贅沢でもあります。それは、目先の何かを生み出すものではなく、長期的な「投資」であるともいえるでしょう。
これだけ恵まれていると、「学校に行けることがなんとありがたいことか」とは思わないのは当然でしょう。
今、食べ物においても、健康ブームです。
100年前であれば、少しの量で多くのカロリーを取ることができることが、食べ物に求められていました。
ところが今は逆にいかにカロリーを抑えた商品であるかを示すことがアピールポイントになっています。
では、教育は100年前に比べて何が変わったのでしょうか。
どうもあまり変わっていないように思います。
教えられた事を理解して、覚えて、テストがあって、順位をつけられる。
教えられたことというのは、時代によってもちろん変わる部分もあるでしょうけれども、九九や三角関数が半世紀前と変わることもないでしょう。
ただ、面白い事に、世の中に現れた多くの文明の利器が出来た当初からそれほど変わってもいないんですよね。
自動車など、100年前と基本的な原理は変わらないでしょう。エンジンがモーターに今後なるかもしれませんが、その程度です。
航空機もプロペラからジェットになったこともそれほど大きな違いともいえません。
変わっていないというのは、なんらかの推力を利用して、空気の力で上昇し、下降するという原理原則が変わっていないということです。
ただ、インターネットに関してだけは、通信や放送というものから大分変化したものになったと言えると思います。
ただ、どの文明の利器も少しずつ変化するように、教育においても、きっと少しずつ変化するのかと思います。