こんばんは。
塾長の鈴木です。
私が人の心理で怖いと思うものの一つに、
「○○の為に、やっている(○○というのは人の名前)」
という気持ちです。
友人同士や、恋人同士が「相手の為に」
一見、普通に見えるかもしれません。
友人同士でも、恋人同士でも相手に尽くすということもあるでしょう。
何が怖いかと言えば、その「○○の為に」という気持ちは、あくまでバランスが取れている時のみに成り立ちます。
つまり、相手が自分の思い通りにならなければ、「なんで、これだけ自分がやっているのに」
と思うかもしれませんし、
彼氏なり、彼女なりに尽くしていても、相手から「別れて欲しい」と言われたら、裏切られた気分になるかもしれません。
つまり、一見「愛情」に見えるものが、「憎しみ」に変わることがあり得るわけです。(本当は情だけで、愛情ではありません。)
実は、はじめから、その「○○の為に」という時点で、ボタンを掛け違えているのです。
「○○の為に」というのは本来ありえません。
全て、同じだけの重さで自分の為です。
つまり、「○○の為に」と思っていると同時に、それは自分の為でもあるわけです。
先ほどの恋人同士の話にしても、「自分はこれだけしてあげたのに」というのがおかしいのです。同じだけ自分もしてもらっているのです。
だから、「○○の為に尽くしている」という気持ちは、本当は自分の為でもあるにも関わらず、それを忘れてしまう。
私が他人の話で、「こんなに尽くしているのに」という言葉を聞くと非常に怖いと感じる理由です。
それは、自分自身が見えていないということを言っている人が言う言葉だからです。
私も、昔から後輩に食事をおごることがあったりしたときも、「おごってあげる」などとは思ったり言ったことはありません。
「おごらせていただく」そう思っています。
誰かに喜んでもらえれば、それが自分にとってもプラスなわけですから。