こんにちは。
塾長の鈴木です。
私が仕事をするときに常に根底にあることは、「それは、誰の何の役に立つのか」ということがあります。
子供たちに、「どうして、塾を開いたの?」と聞かれたときには、「大学院時代に、結構、家庭教師とか塾講師とかやっていてね。それが面白かったからだよ。」とは答えます。
その根っこにあるのは、別に塾かどうかではなく、ただ「誰かの役に立ちたい」というだけです。
なぜ、そう思うかについては、これは、空気を吸うのはなぜか、くらいのもので、殆ど生まれつき、だと思います。
多分、言うまでもないことなので、誰しもそうなのではないかなと思ってはいます。
もっとも、本当のところ、「役に立たない人」というのは存在しないと思います。
そもそも、何をもって、「役に立つ」と言えるのか、ということもあります。
それは、その都度中身が変わるものなのだと思います。
今、開いているのは「塾」ですから、勉強ができるようになりたいから、通っている子も多いです。
でも、そのときそのときによって、必ずしも、「勉強のため」だけではない時もあるように思います。
小中高の子供たちにとっての、悩みがあったり、聞いて欲しいことがあったり、逆に聞かないで欲しかったりすることもあります。
よくあるのですが、勉強したくない、という子は、ただ、「やりなさい」ではなく、「なぜ、したくないの?」と話を聞いていくことが求められます。もちろん、その子によって接し方は変わります。
子供たちより、当然歳をとっているわけですから、何かアドバイスできることもあると思います。
困っていることを見つけて、何か力になる。
これが、「役に立つ」ということなのかと思います。