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習い事

2015-05-14T14:58:18+09:002015年05月14日|武蔵新城|

こんにちは。塾長の鈴木です。習い事でも塾でも同じなのですが、ある授業で出来なかったことは、次来る時には、完全に出来るようにしてくる。これが大切です。だから、前に進むのです。いつもいいますが、ピアノでも習字でも週1回30分のレッスンだけでうまくなる人はいないんです。家で何度も練習して、それこそ毎日毎日練習して、それで先生のいるところでレッスンに臨むからうまくなるわけです。私も生徒さんに偉そうに言う手前(笑)、今習っているドラムでも、前回出来なかったところは、とにかく次回は出来るようにする、ということを心がけています。塾でも、前回解けなかった問題をもう一度出した時、「解き方忘れました」では、前に進みません。所詮、勉強だって、ゲームに過ぎない、ということに気づいて真剣になれば楽しいわけです。なんか知らないけど、覚えなければいけないから、と嫌々やっていると、楽しくもなんともない。頭にも入りやしない。人は、出来なかったことが出来るようになることに喜びを感じるものかと思います。勉強は「嫌なもの」と思っている子には、気づいて欲しいなと思います。どうしても、最初は、「大変だ」と思うのは当然ですが、そこで、もうひと頑張り登ってみると、「あれ、楽しいかも」と気づけます。

逃げるのは簡単

2015-05-14T03:42:00+09:002015年05月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。なんでも後回しにしていると、当たり前ですが、後でツケが回ってきます。定期試験前になると、本当はいくらでも時間があったはずなのに、なんらかの周りのせいにして、「もう、間に合わない」などとなる子もいます。課題提出などでも、ある程度は予想できるものです。もしくは、言われた時にすぐに残りの日数を考えて、日で割れば、1日あたりの量は出ます。そしてそれほど無理なく終えられるはずです。それをやるかやらないかです。GWだって、あったはずにも関わらず、目先のゲームや漫画を読んで時間をつぶしたから、ギリギリになって「わからない」などとなるわけです。「死ぬ気」で取り組んで解決できないことなど、たかが勉強において、あるわけないんです。確かに、「理解」が必要な科目はあります。理数系科目はそうでしょう。でも、実はその手の科目だって、「理解」を後回しにして、とりあえず、解けるように「覚えてしまう」と、後から実は理解できたり、人に聞いて全てがつながったり、ということがあるんです。読んでわからないからできない、というのは「幼児」と同じです。「幼児」はわからないと、「ん~。難しい。できない。やって。」となるのはわかります。中学生、高校生が言う言葉ではないですよね。「わからない」場合は人に聞けば良いですが、聞けない時でも、とりあえず、解き方を完全に覚えて解けるようには出来るんです。出来なくてもいいや、という逃げの気持ちがあるから、「わからない」などといって放り投げることが出来るのです。

選択

2015-05-13T06:19:57+09:002015年05月13日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。台風も過ぎましたね。今日はだいぶ暑くなるとか。さて、誰でも、「新しいこと」を始める時には、「不安」を感じたり、「楽しみ」を感じたりします。「不安」も「楽しみ」も同じものです。全く、逆の意味のようですが、同じものを表と裏から見たために異なって感じます。もちろん、その物事について、ただ「不安」しか感じず、全くやりたいと思わないのであれば、それは選択することではないでしょう。でも、「不安」もあるけれども、「楽しみ」の方が大きいというのであれば、それは選択してみる価値があるのかと思います。

戦闘開始!!

2015-05-11T01:09:26+09:002015年05月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。さて、今日は日曜日で教室はお休みでした。明日月曜日から1か月は日曜日も含めてお休みはありません。その理由は、生徒さん達の定期試験が始まるためです。まずは、高校生の定期試験、その次は中学生の定期試験です。高校生の定期試験は5月下旬から、中学生の定期試験は6月上旬からはじまります。(学校により多少ずれはあります)勉強を教えるというだけなら、誰にでもできます。何がなんでも、結果を出さなければならない、ということが、「塾」というサービス業の仕事なわけです。中1も多いですが、どの学年にしても、「危機感」というものをもって取り組んでいない子もいます。「危機感」など、学生のうちに持つのは難しいかもしれません。社会人でも新入社員に危機感をもって仕事をさせるということは難しいです。私も良くここで書きますが、結果を100%出せないような人間は基本的に甘いんです。90%で良いとか考える、それが甘さなんです。「だいたいできればいい」ふざけるなと思います。ただ、これは私自身への言葉でもあります。最後で、95%位できればいいかな、と無意識に選択するクセが私もあります。お金をいただいて、プロとして仕事をしている人間が、「だいたいできればいい」これはプロではありません。保護者の方々からいただくお金の重み。どれだけ貴重なお金なのか。それを思うからこそ、通ってくださっている全ての生徒さんの成績を誰もが納得する点数まで上げたいのです。

うらやましい人なんていない

2015-05-09T02:39:36+09:002015年05月09日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。生徒さんの話を聞いていると、たまに「頭の良い人がうらやましい」なんて聞くこともあります。確かに、記憶の良い人、理解の良い人、それぞれいます。でも、誰しも、それぞれに光るものを持って生まれています。今の中学、高校生においては、学校の勉強が人よりも短い時間で成果を出せる人というのはうらやましいかもしれません。はっきり言ってしまえば、たかがこの中学、高校だけに役立つことを早く身に着けられるかどうかなど、人生においては、どうでも良いんです。その物事に対して、どのように取り組むか、ということなんです。だれだれがうらやましい、なんて言っている時点で、「逃げている」ということです。自分の置かれた立場で最善を尽くす。その勉強をしているのです。5年後、10年後に二次方程式を使う人なんてまずいません。そんなことを身に着けるための勉強ではありません。ある目の前の課題に対して、どのように取り組むのか。そしてどのように成果を出すのか。そういったゲームなのです。間違っても他人をうらやんだりするのは損です。それは、自分を否定することになるからです。全ての人が、自分にしかできない、最高の力を持っているわけですから。

穴を一つずつ埋める

2015-05-08T05:19:28+09:002015年05月08日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。中学生くらいであっても、数学でなかなか答えが出せない場合は、案外小学生の部分が出来ていない、ということが良くあります。特につまづきやすいのが、「割り算」です。その中でも、「小数の割り算」がきちんとできない子もいたりします。そういった、小学生の時に苦手だったときそのままにして中学生になって学年もあがってきてしまったのでしょう。そういう場合は、たとえ中学生であっても、小学生のドリルを練習をしたりしてもらいます。そういった部分は宿題として出します。普段は、中学生の単元の授業を行いますが、途中で小学生の範囲が抜けていれば、それを徹底的に埋めるのです。点数がなかなか取れない子というのは、必ず原因があります。そこを見つける。それを埋める。これの繰り返しです。逆にこの繰り返しで必ず点数はあがってきます。これが穴を埋めるということです。

頭ごなしだとしても

2015-05-03T21:03:40+09:002015年05月03日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。先日のブログに、「自らが行動」と、「相手の話を聞く」ということを書きました。その中で、「頭ごなしで伝わらない」とも言いました。ただですね、「頭ごなし」だとしても、きちんと伝わることももちろんあります。それは、その中に本当に愛情を持っているからこそ出ている言葉なのかどうか、ということです。「頭ごなし」でも、ただキレてわめいているだけなのか、実は、心は冷静だけれども、本気で伝えようとしているのか、というところの違いです。それと、誰が言うか、というところでも変わってきますね。本当に信頼されている人にだったら、どのようなアプローチであれ、「聞こう」と思いますし。つまりはその伝えようとする人の生き様、信頼にもよってくるということです。

相手の話を聞くことの大切さ

2015-05-02T00:48:23+09:002015年05月03日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。この前に書いたブログの補足をします。まず、頭ごなしに言ったところで、人はその時は聞くかもしれませんけど、結局聞かないでしょう。なぜかといえば、伝える側がその相手の話を聞いていないからです。まず、誰かが何かを伝えたいのならば、「なぜ、その行動をしないのか」ということを聞き出す必要があるわけです。勉強にしたってそうです。勉強をしない子は、そのやらない理由として、面倒くさい、つまらない、興味がない、わからない、など様々な理由があるかと思いますが、まず、きちんと理由があるんです。そこをまず聞き出して、その理由に対して、さらに「なぜ」を聞く。それを繰り返していくことによって、相手の思っている、「勉強しない理由」が見えてきます。私も勉強を教えていますが、勉強に興味のない子については、まずは話を聞くようにしています。その部分を拾っていかないと、ただ、「やばいよ!やばいよ!」と言ったって、何も伝わらないからです。もちろん、すぐに変わることはなかなかありません。時間もかかります。相手の話を聞きながら、でも、一つずつ伝えていきます。そうすれば、必ずわかってくれます。私は、例え幼児に対しても、尊敬を持って接しています。リスペクトをすると言えば良いでしょうか。なぜならば、たかが何十年か先に生まれただけでエライなどと思わないからです。どんなに幼い子であろうとも、一人の人格者なわけです。私は生徒達の名前を呼ぶ時には、全て敬称をつけます。どんなに慣れた、仲良くなった生徒さんに対しても、私の塾では「君」「さん」をつけます。例え子供であっても、「呼び捨て」で呼ぶことなど失礼でできないわけです。

人を変えたいのならば、まずは自分から

2015-05-02T00:26:36+09:002015年05月02日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。さまざまなシーンにおいて、人に何かを行動して欲しい時、というのがあると思います。わかりやすい例で言えば、子供が勉強をしない、とするならば、親は子供に勉強をして欲しいと思うかもしれません。通常は、いくら「勉強しろ」と言ったところで聞くことはないでしょう。お互いの主張をぶつけ合うわけですから、喧嘩になるだけかと思います。まず、勉強をなぜする必要があるのか、それを感情的にならずに、子供の言い分を聞きながら伝えていく。大切な事は、相手の言い分を聞くことなのです。そして、もう1点大切なことがあります。例え、親だろうと教師だろうと上司だろうと、いくら上から目線で押し付けて人は動きません。であれば、まず、自分自身も子供の目から見て、「こんなに頑張ってくれているんだ」ということを行動して見せる、ということが大切です。休日に家でダラダラしているお父さんが、「勉強しろ!」といったって、説得力ないですよね。子供は学校や塾、そして休日も部活で頑張っているわけです。子供に「必死で勉強して欲しい」と思うのならば、自分自身も死ぬ気での自分なりの行動を見せる必要があると思います。このブログにも時々書きますが、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、 ほめてやらねば、人は動かず」(この後に相手の話を聞く、ということも入っています)「言って聞かせて」の前に、「やってみせ」があるわけです。家庭だけでなく塾も同じですし、学校もだと思いますが、人に何かを伝える仕事ならば、まずは「やってみせ」なのです。力で押し付けることではない、私はそう思っています。それに気づけた時、人は変わるのだと思います。

試験

2015-05-01T03:27:06+09:002015年05月01日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。定期試験も近づいてきますね。その直前は、修学旅行だったりしますので、もちろん、「大変」ともいえます。でも、その直前の修学旅行までにどこまで進めておくか、これが大切なわけです。「修学旅行」があるから勉強できない、なんていうことはあり得ません。「修学旅行」以外の時間、それまでの時間で早め早めに準備を進めれば良いだけです。直前になってから対処をしよう、というのでは間に合わなくて当然ですね。