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自由研究

2015-08-06T05:37:22+09:002015年08月06日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。毎日、本当に暑いですね。中学生の夏休みの宿題を見ていて、もったいないなぁと思うものの一つに、自由研究があります。テストで点数をとれない子ほど、「出せばいい」程度のものを出そうとします。学校の先生にもよるとは思いますが、こういった、何をやっても良い系というのは、やればやっただけ評価されるんですよね。本来ならば、点数をとれない子ほど、めいっぱいの事をやればいいのに、最低限のことしかやらず、なるべく楽なやつ、とか、時間のかからないもので、となります。少なくとも高校は成績の合計点で評価されるのであれば、誰にも負けないくらいの自由研究を出したら、それはそれで通常は加点になります。そうすると、テスト80点程度でも、成績が5になったりする、ということもあります。つまり、+1されたりすることもある、ということです。めいっぱいの事というのは、中学生であれば、レポート40~50枚程度で良いかと思います。理科が好きな子や、確実にプラスαをねらう子はそれくらいやってますね。もっとも、通常、写真などで、原理や、実験方法などのページが多いだけで、別に文章でめいっぱい書くわけではありません。書き方にもコツはあります。それでも、枚数が多いだけでインパクトがありますから。それでいて、内容にもよりますが、実験が終わったのち、レポートを作る時間はせいぜい、4、5日かければ終わるでしょう。ですので、見た目ほど、本当は大変ではないんです。ただ、「出せばいい」程度の人に比べれば、何倍も評価は変わります。部活で忙しいといっても、お盆休みもあるでしょうし、別に毎日16時間拘束される部活はないでしょう。時間はあります。確実に。テストはみんな頑張りますから、差をつけるのが難しい部分もあります。テスト勉強もするけれども、プラスαで考える。別にさきほどの枚数までなくてもいいですが、成績を確実にあげたければ、それもすればいいだけなのに、「カンタンにすまそう」とするのが、もったいないな、と思います。みすみす、本当は誰でも取れるところに手すら伸ばしていない、むしろ、「成績悪くていいです」と言っているようなものです。自由研究に限りませんが、目いっぱいの事をやるから、個性が出るんです。本来、一人として同じ人はいませんが、適当なことをするから、差が見えないのです。

予定は先に入れる

2015-08-05T06:01:50+09:002015年08月05日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。良く、「○○が出来るようになったら○○をしよう」ということありますよね。それは、スピードが落ちます。逆なんです。予定を先に入れるんです。だから実現できるんです。例えば、何か少し高価なものを買いたかったとします。でも、今の自分にはまだ届かないかな、と思ったとしましょう。そうした時は買えるようになった時に買うんじゃないんです。購入するまでに時間のかかるものだったり、時期が決まっているものであれば、先に予約を入れるんです。そして、それを必ず実現するために行動をするんです。それが目標に向かって進むということです。「いつか、○○になったら、○○しよう」は永遠に叶いません。日本電産の永守さんも、「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」と言ってますが、まさにその通りでしょう。

夏期講習会ニュース2

2015-08-04T12:16:28+09:002015年08月04日|国立|

夏期講習会が始まった7月23日。由井宇宙飛行士を乗せたソユーズが打ち上げられました。国際宇宙ステーション(ISS)でのご活躍が楽しみですね。 さて、今年のサマーセミナーが始まる8月13日前後、ペルセウス座流星群の流星を、多い時には1時間あたり30個以上観察ができそうとのこと。夜更かしもこの時だけは大きなロマンに繋がります。由井飛行士が少年だった頃、レタス畑の一角で毎夜星を天体望遠鏡で観察されていたそうです。

行動するタイミング

2015-08-04T04:41:40+09:002015年08月04日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。様々な状況において、誰しも、判断し、なんらかの行動を選択する、ということがあります。例えば、部活を始めることもそうでしょうし、学校を選ぶことも一つでしょう。同様に、会社を選んだり、結婚したり、または転職をしたりと様々な状況において、判断、選択、行動をします。思い立ったら吉日というのは、私の特技の一つでもあります。確かに、その分、多くの失敗をするかもしれません。でも、間違えたら、それを経験にして次に行けばいいと思っています。今までもそれで、一番面白い選択を出来ているので良いと思っています。もちろん、石橋を叩いて渡る性格の人はそれはそれで良いと思います。これも、別にどちらが良いというわけではないでしょう。ところで、語学を学ぶ、ということは、世界とつながることであるための一つの方法ではあります。私は少し違うアプローチになりますが、生徒さん達に海外の状況を伝えていきたいと思っています。かつて、エンジニアだった時にも、そしてそのあとも、海外を何か国か回っています。(実は来月も行くことにしました。殆ど弾丸旅行ですが。これも思いついたその日に予約を取りました。)私の娘は、1歳になる前から何か国も回っています。そして、私は夏期講習がありますので、こちらに残っていますが、妻と娘も今も海外に出ています。海外に行き、見ることで、気づくこと、本当に多いんです。語学を使えることは大切です。しかし、様々な国を知ることも同じように大切だと思います。思ったら即、行動を起こす。これが、前に進む一番の方法だと思っています。私は、この塾のコンセプトは世界に通用する人材を輩出する、ということで行っています。色々な国を見聞きして、それを生徒さん達にパワポで紹介していく予定ですが、何かをつかんで欲しいなと思います。これからの子達こそ、国内だけにとどまるべきではないと思います。

算数・数学が苦手な子

2015-08-01T04:12:32+09:002015年08月01日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。毎日暑い日が続きますね。生徒さん達の勉強を見ていて思いますが、大体1回見ると、何が出来ていて、何が出来ておらず、何を対処すれば点数がとれるようになるか、ということはわかります。私は主に数学を見ることが多いのですが、例えば中学生であれば、今の単元が出来ないから、点数がとれないのではなく、多くは中1や、小学校の単元でつまづいていることが多いです。学校はあたりまえですが、その子が出来ていようと、出来ていなかろうと、次の単元に進みます。基本的にはまず、計算が合うかどうかです。計算が合わない子というのは、まず、中1の一番初めの正負の数、その次の方程式が出来るかどうか、ですね。そこが本当に出来ていれば、中学生の単元はそれほど困りません。もちろん、図形や関数などありますが、まず、計算が出来ないことには、どの単元を行っても点数になりません。怖いのは、自分はわかっている、出来ている、と思っていて、実は完成度が低いために点数にならないということが多いのです。家づくりと同じで、土台が出来ていないのに、いくら上に積み上げても、完成しないのと同じです。計算は基礎訓練です。ここが固まると、面白いように点数がとれるようになります。何が出来ていないかは、生徒さんによって皆それぞれ異なります。一人一人、間違い方や計算方法を見ているとどこの単元を苦手のまま来てしまったかがわかります。良く、「文章題が苦手で」ということは聞きますが、本当の問題は文章題以前の事の方が多いです。計算が出来ないのに、文章題が正解できるわけないですから。

飽食と教育

2015-07-31T03:57:45+09:002015年07月31日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。いまさらながら、「わたしはマララ」を読みました。マララさんの訴えることは、一言でいえば「全ての女子にも教育を」ということかと思います。読みながら、今の日本を見た時、飽食の時代といいますが、教育においても「飽食状態」なのかとも思いました。良い本が安く、誰もが手に入れることができることで知識も得られるし、通常は誰しも、幼稚園(保育園)~大学・専門学校まで行くことが出来てしまう。「学ぶ」ということは、ある種の贅沢でもあります。それは、目先の何かを生み出すものではなく、長期的な「投資」であるともいえるでしょう。これだけ恵まれていると、「学校に行けることがなんとありがたいことか」とは思わないのは当然でしょう。今、食べ物においても、健康ブームです。100年前であれば、少しの量で多くのカロリーを取ることができることが、食べ物に求められていました。ところが今は逆にいかにカロリーを抑えた商品であるかを示すことがアピールポイントになっています。では、教育は100年前に比べて何が変わったのでしょうか。どうもあまり変わっていないように思います。教えられた事を理解して、覚えて、テストがあって、順位をつけられる。教えられたことというのは、時代によってもちろん変わる部分もあるでしょうけれども、九九や三角関数が半世紀前と変わることもないでしょう。ただ、面白い事に、世の中に現れた多くの文明の利器が出来た当初からそれほど変わってもいないんですよね。自動車など、100年前と基本的な原理は変わらないでしょう。エンジンがモーターに今後なるかもしれませんが、その程度です。航空機もプロペラからジェットになったこともそれほど大きな違いともいえません。変わっていないというのは、なんらかの推力を利用して、空気の力で上昇し、下降するという原理原則が変わっていないということです。ただ、インターネットに関してだけは、通信や放送というものから大分変化したものになったと言えると思います。ただ、どの文明の利器も少しずつ変化するように、教育においても、きっと少しずつ変化するのかと思います。

制限

2015-07-30T05:53:05+09:002015年07月30日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。誰しも、様々な事に「制限」をつけています。逆に学生時代は何かと「制限」を学ぶ時かもしれません。ところが、社会に出たら、責任とセットで自由が得られます。それでも、本当は、何だって選択できるのに、自分で制限をつけてしまう、ということは良くあるでしょう。「自分には出来ない」「もうそんな歳じゃない」・・etc言うまでもありませんが、それらは全て不要な考えです。本当に選択したいのならば、選択すれば良いだけです。なぜ、こんなことを書くかといいますと、私自身は、かなり自由に選択しているつもりでありながら、やはりどこか、非常に制限しているような気もするわけです。

何が良いということはない

2015-07-29T05:31:35+09:002015年07月29日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。早くも7月もまもなく終わりますね。夏休みの宿題も人によってはぼちぼち終わりつつあるかと思います。これは性格が出ますね。基本的に、親は、とにかく早く終わらせて欲しい、と考えます。終わっていない、ということが親自身にとってしんどいからです。ところが、当の子供は嫌なことは後回しにしたいので、なるべく後回しにしよう、とする子も多いので、そこでケンカが起きます。高校生以上になると、あまり宿題がどう、ということについて親とケンカになることもないでしょうけれども、中学生くらいまではここは難しいですね。子供にも自我が非常に出てきていますので、反発しますし、親は親で、まだまだ子供だから教えなければ、としますので、ぶつかるわけです。ただ、それも子供の成長にとって、そして親からの子離れとしても、非常に大切なケンカに思います。本当はどの方法が正解、というものはありません。私はなんでも早めにしないと気持ちが悪いと思うタイプでしたが、私の弟はなんでもギリギリでしたね。しかし、ギリギリでも勉強という成果においては私の何倍も成果を出していました。ギリギリにするからこそ集中力が発揮できる、ということもあるわけです。子供を指導する際にも人によって全く違います。私は、理由もないことの指導には反発を覚えますので、必ず、何かを指導する際には理由を言います。ところが妻は自分の子供に「いいからやりなさい」というような方法で指導をします。これも性格によるものです。妻は学生時代の体育会系の部活などでもいわゆる「決まりをまもる」ということが好きなわけです。そこに理由はいりません。そうすると、「いいからやりなさい」になるわけです。それについて、私はまずいとは思いません。それも一つの指導の方法だと思うからです。私は、それぞれの子供は、親を選んで生まれてきていると思いますので、全て、それぞれに理由があるのだろうなと思います。

今に生きる

2015-07-28T05:43:35+09:002015年07月28日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。今日も暑くなりそうですね。さて、良く言うと思うのですが、「中学・高校・大学に行く為に、今の勉強をする」というような。うーん・・。と思ってしまいます。なんというかですね、もちろん、それぞれに勉強をしないと、確かに学校は選べないというのは事実だと思います。でも、成果を出す人というのは、その目の前の物事そのものを楽しんでいるんですよね。別に「○○に入学するために頑張る」ではないんです。それでも、本当にサクサクっと日本で一番難しい学校だろうと軽く受かってしまう。もちろん、記憶力や理解力、集中力の良しあしはあります。でも、目の前の物事に面白みを見つけて進んで行く人の方が「やらなくてはならない」と思っている人より、はるか遠くまで飛ぶことが出来るでしょうね。仕事も同じかと思います。「将来の為に、やらねばならない」という義務感でやっている人よりも、「やろう!」と楽しんでいる人の方が、より大きな成果を出せると思います。

自分フィルター

2015-07-27T03:05:35+09:002015年07月27日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。毎日、本当に暑い日が続きますね。人は誰でも、「自分フィルター」という色メガネで物事を見て、そして、物事を判断します。「自分フィルター」というのは、自分の価値観、自分の性質の上での判断ということです。例えば、理解力がある人から見れば、理解力がない人の事がわからない、というようなことも起こりえます。そういった表面的な事もあれば、いわゆる性格的な部分、いつも物事を丁寧進める人からすれば、雑な人の事がわからないでしょう。その逆もしかりです。その中で、大切なことは、自分がどういう性質なのかということを認識すると同時に自分と違う人についても、理解をしよう、とすることです。人それぞれに性質があるわけですので、必要に応じて、得意な部分を伸ばしたり、まずいところは、出来る範囲で修正したりするようにしていくわけです。状況に応じて求められるものが違いますから、単純にどういう性質が良くて、何が悪いともいえるものでもありません。そして誰しも秀でた部分を持っていますから、それぞれに得意な部分を出し合って、物事を進めていく、という形が良いのかと思います。