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連鎖的な出来事の結果

2018-08-22T04:21:33+09:002018年08月22日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。とある、大事故などを取り扱う海外のドキュメンタリー番組の冒頭で、こんなナレーションがあります。「災害は偶然の産物ではありません。何らかの連鎖的な出来事の結果です」この番組では、飛行機事故や、空母での火災事故など、様々な事故の原因究明を行う、というものです。この言葉を聞くと、私は比べることはできないものの、学校の点数や、入試の合否もある種、かぶるところがあると思います。「連鎖的な出来事の結果です」というのは、その通りなのだろうなと。点数が悪いからといって、「勉強しなかったから」「やる気がないから」などと、一言で言えるものではないと思います。もっともっと、何年も前からの積み重ねで「今」が作られているものです。逆に言えば、これからどう過ごすかで、未来が作られていくわけです。生徒さん一人ひとりが、ここで何かを学び、そして、将来に何を活かせるのか、気づける場でありたいなと思います。

自信をつける

2018-07-10T03:40:51+09:002018年07月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。生徒さんから、将来について話を聞くこともあります。聞いていて、一番、私が否定するのは、「自分にはできないんじゃないか。失敗したらいやだ。」と言って、はじめから挑戦しないことについてです。確かに、まだ10代だったりすると、自信を持っている子は少ないかもしれません。そういうときに、「失敗するかもしれないから、やるんじゃないか。失敗しても、自分があきらめるまでは失敗じゃないし、何度でも生きている限り挑戦できるわけでしょ。」と話します。私は「数学のルートとか、そんなのどうだっていい。試験に出るから教えるけど。でも、そんなことより、挑戦できるのに挑戦しないことがどれだけ損なのか、そういうことを知って欲しい」と話します。一番伝えたいことです。失敗したくないから、「こうすればいいかな、ああすればいいかな」と試行錯誤をして、知恵を使うわけです。そして、そこに死ぬ気で取り組むわけです。それでも失敗することもあるでしょう。でも、考えずに行動して失敗するよりも、考え抜いて失敗した方が得るものは大きいです。世間的には、挑戦を受け入れる土壌はないかもしれません。多くは安泰を望んでいますから。もし、ないとするならば、自分でその土壌を作れば良いのです。

接し方

2018-07-05T01:54:00+09:002018年07月05日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。子どもたちと接していても、やはり難しいのが接し方です。その子その子に合わせて、またその子その子の状況に合わせて、一番、力になれる言葉を伝えたい、と思っています。大人びている子もいれば、子供っぽい子もいます。メンタル的に強い子もいれば、弱い子もいます。また、強そうに見えて弱い子もいれば、弱そうに見えて強い子もいます。勉強を教える、それも仕事ではありますが、その子を育てる、という役割もあるのだと思います。この教室で過ごす何年間の中で、その子にとって良かったと思える場を作りたいと思います。

笑顔

2018-06-08T16:56:03+09:002018年06月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。生徒さん達見ていて思うのですが、まず、笑顔でいて欲しい、ということがあります。やはり、悩みごとがあったり、緊張していたりすると、当然笑顔は出ませんよね。入塾したばかりの子などは特に緊張していますから、笑顔が少ないことは多いです。ただ、入塾してからの月日が経っていても、笑顔が殆ど見られない、という子もいます。そういう子の場合、緊張というだけでなく、自分を守ろうとガードしている、ということもあります。もちろん、勉強しに来ているわけですから、適度な緊張は必要ですが、緊張しすぎていると、これも頭には入らないですし、変なミスもしたりします。私自身も、笑顔でいること、まだまだできていないと思います。自分の子供にも「お父さんはどうして笑わないの」と言われているくらいですから。安心できる場でありたい、と思います。

成長するということ

2018-05-29T02:30:05+09:002018年05月29日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。まずは、一発目の定期試験、西中原中の試験がはじまります。色々な子達がいますが、なかなか、難しいことも多いように思います。毎年定期試験があり、そして受験があるわけですが、どうやって、その子にとってのベスト解を導き出すのか。私もいろいろな出来事があると、凹んだりしては、何かに気づいたりして、成長できているとよいなと思います。また、生徒さん達にとっても、多くの場合、教室には年単位で通うわけですので、身体の成長だけでなく、心も成長していると思います。その中で、どのようにアプローチできたのか。どう役立てたのか。私にできることは、その瞬間瞬間においてのベストを尽くすことだけです。

「ねばならない」系のルール

2018-04-24T21:45:58+09:002018年04月24日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。幼稚園児や小学生低学年と接すると、本人達は「毎日が楽しくて仕方がない」という感じでとてもパワフルに見えます。ところが上の学年にあがるにつれて、特に中学生になると「疲れた。」という状況になっている子が増えてきているように思います。何かがおかしいように思います。もちろん、低学年の方が無邪気だという部分はあるかと思います。それを差し引いたとしても、明らかにパワフルさが違うように思います。中学生になると、「ねばならない」系のルールが多いように思います。でも、それは「昭和の遺産」のようなものにも思います。自分を振り返ったとき、大人になった今は、外部が決める「ねばならない」系のルールは殆どないです。でも、それまでに親しんだ「ねばならない」系のルールから出られていないのかもしれません。中学生の子達が「疲れた」と良く言うのは、その「ねばならない」系のルールに縛られて疲れてしまうようにも思います。

目的意識

2018-03-22T16:43:37+09:002018年03月22日|武蔵新城|

こんにちは。塾長の鈴木です。小学生だとまだ難しいところもあるかもしれませんが、「目的意識」を持つということは大切だと思います。例えば中学生であれば、目標とする高校がある子もいますが、むしろない子の方が多いです。それでも、勉強そのものをゲームととらえ、「成績で5をとる」とか、「テストで80点をとる」とか、なんらかの目標がある子とない子とでは、なかなか結果の出方が異なります。目標があると、それに対する、具体的な方法を考えて、行動しますので。でも、「〇〇点なんて無理」とはじめからしり込みする子も多いと思います。本当は、無理かどうかではなくて、やりたくない、というところが本当のところなのだと思います。勉強をキライなもの、嫌なもの、やりたくないもの、ととらえてしまっているところをどうやって変えていくか。方法は一つではないですが、その子その子の興味に合わせ、その子の話を聞きながら、こちらの話も聞いてもらって、一つずつ一緒に前に進む、ということになるのかと思います。

食わず嫌い

2018-02-22T12:53:14+09:002018年02月20日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。少し、ブログの更新が滞ってしまいました。入試が終わり(公立高校は発表待ちですが)、今は、中学生の定期試験です。高津中や、宮内中は先週でしたが、今は西中原中、橘中、東高津中の真っ最中です。生徒さん達が、ある科目がキライという場合、多くの場合は、「食わず嫌い」が多いように思います。(もちろん、例外もありますが。)そのため、ある科目を、一緒に勉強していくと、その科目が好きになったり、得意になる、ということはとても多いです。そういう子は、もともと、ある科目がキライなために、勉強もしない(しているフリはする)、だから学校の授業もつまらないし、わからない、という風になっている場合があります。ただ、その「キライ」という気持ちが強いと、なかなか前向きにならないために、誰かに教わったときにわかっても、復習しないために、できるようにならない、ということもあります。良くあるのが、社会は暗記科目だからいやだ、覚えられない、興味もない、という子もいます。でも、誰かがついて、学校の授業の前に教科書を開いて、分からない言葉をネットで調べて、一つずつ進めていくと、結構、楽しくなります。そうすると、定期試験前でも勉強するのが苦ではなくなります。時間はかかりますが、一歩ずつ、学んでいくと、案外どの科目も面白くなるものだと思っています。

勉強のABC

2017-12-16T23:22:13+09:002017年12月16日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。もう、受験生は公立入試まで60日ですから最後の追い込みです。さて、勉強のABCと書きましたのは、ビジネスでも、ある著者が「当たり前のことを」A,「馬鹿になって」B、「ちゃんとやる」C(それぞれのローマ字の頭文字)と言われています。勉強も、全くその通りだと思います。なのにどこかに、「幸せの青い鳥」がいるんじゃないか、「王道(楽な道)」があるんじゃないか、うろうろする人もいます。そんなものないんです。この世のどこかには、もしかしたらあるかもしれませんが、そんなことをするくらいなら、まず目の前のことに死ぬ気で取り組めば良いのです。それすらできないから、何一つできないのです。皆、なんのためにこの世に存在しているかと言えば、それぞれの課題を解決するために出てきているわけです。それがなんの課題かは知りませんが、それを避けては通れないわけです。だったら、正面から立ち向かうしかない。人生だって、仕事だって、勉強だって、結局はそういうところに落ち着きます。案外、人生のコツというのは、上に述べたABCのようにシンプルなんだと思います。

「どうせ自分は」

2017-11-02T02:48:55+09:002017年11月02日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。中学生などで、「どうせ自分は」と投げている子もいます。どうやったら、そんな考えになれるのかな、と思います。本当のところ、「頑張りたくない」から、そういう考えに陥っているようにも思います。努力したらできる、ならば努力しなければいけなくなってしまいます。ところが、自分は頭が悪いから出来ないんだ、と思いこんでいれば、努力をしないですむと考えるようです。人は誰しも、寿命がくる寸前まで変わり続けることができるし、やりたいこと、成し遂げたいと思い、確信して行動することは、ほぼ全てかなえられます。どうして、そんな当たり前のことを知らずに生きている子供たちが多いのか。子供たちと接していて、私が伝えたいことというのはそういうことです。本当に伝えたいことは、解の公式でも、三角関数でもありません。不平不満をいつも言いながら、「どうせ自分は」と思う子に、「自分なら出来る、やり切る」ということを伝えていきます。