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人にはそれぞれの段階がある

2014-12-15T00:50:03+09:002014年12月15日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。段々と寒くなってきました。今日は選挙でしたね。さて、人にはそれぞれ学ぶ段階というものがあると思います。例えば、どこかのエライ人が「競争は意味がない、その人が存在することに意味がある」ということを言うかもしれません。しかし、その人により、またその人の段階により、たとえ、上のことが人として正しいことだったとしても、ある段階においては、「競争」を学ぶということが必要なときもあるかもしれないわけです。つまり、人によって、よりベストな正解は異なるということです。また、その正解すらも、その人がまた歳を経るにつれて正解でなくなる、そういうこともあるのだと思います。

「わかった?」はNG

2014-12-14T02:05:19+09:002014年12月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。公立高校入試まで後2か月、中学入試まで50日となりました。一番面白い時期になってきました。何が何でも結果を出す、ただそれだけです。さて、わかりやすい授業とはどういうものでしょうか。それは、相手に合わせて、使う用語、説明するスピード、解く問題を変えることです。当然、理解スピードが速い生徒さんもいれば、また理解ではなく、話についてこれるスピードがゆっくりの生徒さんも当然います。講師が知っている事を知っているように話して通じるような生徒さんは、ごく一部です。そして、聴いていてもわからない授業は寝てしまいます。もっとも、演習を解いていて寝てしまうのは論外ですが。基本、個別指導なわけですから、授業はキャッチボールです。こちらが一方的に話すのではなく、何か説明しては、「ではこれは?」と聞く。そうして、生徒さんが答えて「理解しているかどうか」を判断する。「わかった?」と言ってもなかなか勉強が苦手な生徒さんは、早く終わらせたいので、わからなくても「わかった」といいます。「わかった?」と聞いて正確に答えられるのは勉強が出来る生徒さんです。勉強が苦手な生徒さんには、「じゃぁ、これはどうなる?」と確認をします。あくまで、本当にわかったかどうかは、問題が解けるようになったかどうかで判断をします。

人に言われたい事を言おう

2014-12-13T03:06:28+09:002014年12月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。ようやく、長かった約1カ月の試験期間が終わりました。私も今週は全く帰宅できませんでした。ユニクロで衣類をそろえ、近くの千年温泉で毎日お世話になっていました。中学校の早いところは11月中旬から試験が始まり、12月上旬から段々高校生の試験が始まっていました。長かったと書きましたが、ホント、一瞬でしたね。試験対策が終わったと思ったらいつのまにか12月も中旬になっていました。来週から高校生の結果も返ってきますが、果たして・・。と、いうところでいつもの徒然を書こうかと思います。まぁ、全部徒然ですが。例えば、誰かに何かを伝えた時、本当は言って欲しかった言葉があったりしますよね。それを言ってもらえなかったりすると、少し残念に思いますよね。残念に思うこと、実はそれが大切なのだと思います。つまり、こういう時には、こういう風に言うのが良いよ、ということをその他人は教えてくれているわけです。それも一つの経験であり、学びになります。自分が逆の立場になったときには、それを言うようにすれば良いのです。

人生に起きる課題

2014-12-12T02:54:42+09:002014年12月12日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。誰しも、生きていく中で、様々な課題が出てきます。それらを解決する方法は、ただ一つです。立ち向かう、ただそれだけです。今でも、解決方法の見つからない課題はあります。課題というのは難しければ難しいほど面白い。難しい課題が出てくるということは、自分が成長しているという証拠でもあります。いきなり自分に解決できないような課題というのは発生しません。いかなる課題であれ、自分に起こる課題は自分にしか解決できません。よく、人生に起きる課題から生じるストレスで、身体を壊したり、自殺したりする人もいますよね。実はそのストレスは「逃げ」から生じるものです。本当にその課題に真正面から向かっていったのならば、ストレスは起こりません。アクセル(義務感)とブレーキ(避けたい気持ち)を一緒に踏むようなことをするから、精神を病んだり、身体を壊したりするのです。どんな課題であれ、所詮たかが、人間に起きている課題にすぎません。であれば、いかなる課題であれ解決する方法を見つけるしかないのです。いまだに解決策が見つからない課題、取り組むことにワクワクします。

毎日が学び

2014-12-11T03:27:11+09:002014年12月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。当たり前のことですが、毎日が学びです。特に大きな経験を得られるのは、失敗が一番です。色々と経験をしたところで、心に刻まれなければ、それは身になる経験にはなりません。また、失敗にも良い失敗と悪い失敗があります。同じ失敗をするにも、高い次元での失敗と、低い次元での失敗というものがあります。もっとも低い次元での失敗にしても、自分がその次元での対応をしたことによって引き起こされます。案外、「これ以上ないだろう」と思うことをやっていたとしても、振り返ってみれば、全く低い次元であったということは良くあります。きっと人は、経験という階段を一つずつ登って、次元を高めているのかもしれません。

勉強そのものが楽しくなるには

2014-12-10T02:34:00+09:002014年12月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。だんだんと寒くなってきましたね。勉強は、良く、「出来るようになると楽しい」なんていったりもします。しかし、私としてはそれは少しさみしいなと思います。出来ることならば、その科目の勉強を行うこと自体が楽しい!となって欲しいと思っています。やはり、楽しんでいる生徒さんと言うのは伸びも早いです。では、どうすることで、その科目自体が楽しくなるのか。生徒さんによっても方法は変わると思います。これも試行錯誤の日々です。

リスク

2014-12-09T05:14:04+09:002014年12月09日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。高校生は定期テストが終わった子もいれば、また今週からテストという生徒さんもいます。さて、虎穴に入らずんば、虎児を得ず、という言葉があります。リスクを冒さないと、宝を得ることは出来ない、そんなところでしょうか。リスクを冒すということは、無謀かと言えば、そうとは限りません。リスクは、きちんと、一つずつ、何がリスクなのかを洗い出し、それに対するリターンを調べることで、リスクをとるのか、それとも行わないのかを考えます。もちろん、はたからみると、ただの無謀に見えることであっても、実はきちんと、裏付けをしながら進めている、ということもありえるものです。

人に教えることが一番の勉強

2014-12-08T03:37:54+09:002014年12月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。中学生でも高校生でも、だんだんと勉強が難しくなってくると、人によってはわかっていたり、わかっていなかったり、ということがあります。もし、自分がわかるようになったのならば、積極的に他人に教える方が良いです。なぜかといえば、人に教えることで、自分がより深く理解することができ、逆に質問を受けることで、自分がわかっていなかったことがわかってきたりするからです。人に教えることで、人助けにもなり、自分の勉強にもなる。これこそ一石二鳥です。一番カッコ悪いのが、「自分が教えて相手がテストの点数が高かったら嫌だから教えないでおこう」などということです。これは、器が小さいといわざるえません。自分が何か気づいたら、人に教えるんです。だから、自分も他人から何か情報を得られるんです。このことは社会にでても同じです。自分だけ、自分だけ、とやっていると、どんどん孤立します。人は人と協力する為に存在しています。お互いに役立つことが大切なこと位は知ってはいるはずです。でも、行動できるかどうかはまた別の話ですね。何か気づいたら、どんどん、周りに教える。そして、周りの方が点数がもし高かったら、それこそ、今度はもっと自分が頑張ったらいい。そもそも、それくらいで抜かれるくらいなら、もともと、相手の方が力があっただけでしょう。もしくは、油断したか、です。

人生は面白い

2014-12-07T01:38:46+09:002014年12月07日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。人生というのは、飽きたりしないようにいろいろとストーリーがあり、そして、誰ひとり同じではない、というところにまた面白みがあるように思います。映画を見たりすることの面白さもありますが、実際の世の中というのは、自分自身が主人公として振る舞えるというところが面白いのだと思います。それも、ストーリーを作っているのも「自分自身」でしょう。また、自分のアプローチによって、結果が異なってきたり、また、自分の考え方によっても変わってきます。人生は本当に楽しい。私はいつもそう思います。どう思うかで、同じ出来事でも全く異なって見えるというところもまた醍醐味です。

どの機会も一瞬

2014-12-06T02:31:24+09:002014年12月06日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。明日の午前中は、娘の幼稚園の催しものに参加してきます。私は、かなりその手のものは参加しない系を自認しておりますが、なんというか、どんなことも、一瞬でしかないように思います。私たち大人は40代、50代、60代と大きくはなっていきますし、生活も変わるとは思いますが、子供の5年と、大人の5年というのは全く違うように思います。そうすると、参加できる限りは、例え、30分だけでも、顔を出す(午後は教室を開くので)ことも大切かと思っております。きっと、子供というのは、あっという間に大きくなるものだと思います。どの機会も一瞬と思うわけです。