武蔵新城

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まもなく定期試験

2015-08-20T06:35:39+09:002015年08月20日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。高校生の数学の授業の準備をしていましたが、早くも朝ですね・・。さて、中学生は、夏休みが明けたらすぐ定期試験ですね。来週からは通常の授業ですし、定期試験は2週間後です。まずは、西中原中からですね。出来ることを一つずつ、確実に抑えていきたいと思います。

時代に合わせて

2015-08-19T04:10:58+09:002015年08月19日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。昨日、ファインズ本部で行う合宿から帰ってきました。今まで、こちらの校舎からは参加した事がなかったのですが、初めて参加しました。その際、本部の代表より、色々とお話しを聞かせてもらいました。最近の子供たちは、言うことを聞く「良い子」が多いそうです。それで大丈夫なのかな、とも言われていました。例えば、夜に騒いだりする子というのはいないんです。私の30年前の修学旅行などでは、やはり騒ぐ子もいたし、それで正座させられたり、という事は良くあったように思います。あと、昔は生徒同士でケンカをしだしたりとか・・色々ありましたよね。でも、そういう事も聞きません。ただ、それは時代を反映しているように思います。1970年代、80年代というのは、戦後ではありましたが、まだきな臭い部分があったのかと思います。そんな時代を反映して、「受験戦争」「交通戦争」なんていう言葉も生まれたのかと思います。でも、「交通戦争」はもう死語でしょう。交通事故死が70年代に1万6000人を超えたわけですが、今では減り続けて4000人程度になっているそうです。また、今でも受験はありますが、「戦争」かと言えば、どうもそうでもないように思います。やはり、その時代、その時代に合わせて子供たちは生まれてきているように思います。何が良い、悪いというのはないわけですし。

お盆

2015-08-14T05:57:20+09:002015年08月14日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。お盆ですね。私もお墓参りに・・と思っています。今は、合宿期間中ですが、最終日は教室もお休みなので、なんとか行くことができそうです。前にも書きましたが、私の今住んでいる麻生区には、お盆ならではの、ナスやキュウリを使った動物にみたてた精霊馬をあちこちで見かけますが、新城には全くないですねぇ・・。恐らく地域的なものなのかと思います。同じ川崎でも地域によって全く異なるんですね。

ニコニコ

2015-08-13T04:02:56+09:002015年08月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今は・・高校生の夏休みの宿題の数学を解いてます・・。解答がないので、解答を作っています。それを授業の時に説明しますのでその準備ですね。さて、こちらにもいろいろな生徒さんがいらっしゃいます。もちろん、塾ですから勉強を教えるのはもちろんなのですが、勉強が苦手な生徒さんもいます。ある生徒さんは勉強はとても苦手なのですが、いつもニコニコしています。なんて素晴らしいのだろう、と思います。笑顔を出せるというのも一つの長所です。この子達の笑顔がより輝くように、お役に立ちたいと思います。

存在価値

2015-08-12T03:21:59+09:002015年08月12日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。人には存在価値というものがあると思いますが、今まで私は、何かしなければ価値が殆どない、そのように思っていました。先日読んだ本の中で、「心屋仁之助」さんの本で気づかされたことがあります。心屋さんは、人には存在給というものがあると。ただ、その価値というのは、本人が決めるもので、人によっては、0だとしてしまっている人も多いと。だから、みんな、「頑張らなければ」となる。でも、そんなことしなくても、存在するだけで大きな価値はあるんだと。それに気づくことが大切、というような意味のことを書かれていました。これについては、自分自身生き方についてまで、気づかされたことがあります。存在給、というものは、寝たきりだろうと、何もしていなくても、存在する価値(話の中では、お金ということについて書いていましたが)だと。私自身、その存在給というものが低いので、なんとかしないといけない、仕事をするならば、死ぬ気でやらなければならない、そのようにこれまでも働いて来ていたように思います。つまり、仕事でもなんでも、「価値を生まなければ」ということですよね。価値がないから、頑張らなければ、ではない、ということです。もともと、誰しも大きな価値がある、ということが前提になる。それを理解しやすいのが、自分の子供を見た時も、存在するだけで大きな価値がある、ということですよね。別に偉くなってほしいとかは、全くありませんが、その子がその子らしく生きて欲しい、と思います。生徒さん達に対してもそうですね。何かのご縁で、何年か一緒に勉強をします。高校受験や大学受験で卒業する生徒さんもいます。会うことがなくなったとしても、みんなそれぞれに元気で活躍して欲しい、そのように思います。私は塾を開くにあたって、誰しも無限の力がある、それを伝えたいと思っていました。でも、それも良いけれども、その人が存在するだけで無限の価値がある。その方がもっと大切なように思います。

ゲーム

2015-08-11T01:50:29+09:002015年08月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。子どもたちの多くは、ゲームが好きですよね。特に男の子でしょうか。私も学生時代はゲームも好きでした。もっとも、大学生の頃、ある時間を費やしてクリアした時、ゲームの中の主人公は強くなっていったけど、この自分自身は何も変わっていない、ということに気づいた時、ゾッとしてそれ以来、やることは無くなりました。生徒さんにも話すのですが、「ゲームより、人生の方が楽しいと思わない?」と言います。人生というゲームの方が、よほど、スリルもあるし、達成感もあるし、困難も伴うので面白いかと思います。ただ、子どもの間は、「人生が楽しい」とは思えないでしょうし(コツがわかっていないので)、自分自身に何が出来るか、ということもわかっていないから、手軽なゲームに走るのかと思います。要は暇つぶしになっているのかと思います。後はテレビですね。今の子達がテレビを見るのか知りませんが、まぁ、手軽な暇つぶしの一つではないかと思います。ちなみに、私自身はゲームを否定しているわけではありません。あくまで、一つの娯楽として良いかと思います。それぞれ、人の趣味というものです。かつて、学生時代に夜な夜な首都高環状線を走っていたころ、「実際の車だと、危ないし、お金かかるし、これからはゲームにしよう」なんて思ってゲームをしたこともありましたが、やはり、リアルには叶わないんですよね。当時、エンジンをかけた瞬間に響くマフラー音と振動、エンジンをかけることを想像しただけでワクワクしたことを懐かしく思います。

信じる力

2015-08-10T04:25:54+09:002015年08月10日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。昨日は教室の大掃除をしました。本部の方達も手伝ってくださいましたので、大分汚れがたまっているところが綺麗になったかと思います。さて、今日は野球選手の王さんの本、「もっと遠くへ」を読みました。その中で、王さんは生まれた時は双子だったそうですが、双子のお姉さんは1歳で亡くなったそうです。ただ、お母さんはことあるごとに、お姉さんの分もあるから二人力で、身体も強いし運もあると言われて育ったそうです。それをそのまま信じて育ち、だからこそここまでこれたのだと書かれていました。人の力というのは、先天的なものも、もちろんありますが、本当に必要なところで力を発揮できるかどうかは、やはりその人の想い、つまりは信じるところにあるように思います。

お盆

2015-08-09T06:52:09+09:002015年08月09日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。生徒さんによっては、そろそろ帰省したり旅行に行ったり、ですね。中学生は、9月頭が定期試験ですから、この夏をどのように過ごすかですね。さて、教室は今日、大掃除をします。通常、日曜日はお休みなのですが、そういう時にしかなかなかできませんので。また、明日から授業も始まりますし。教室は特にお盆休みもありませんので(17日は生徒さん達の合宿に私も行く為お休みです)、いつも通りです。

選択はあるのか

2015-08-07T06:27:53+09:002015年08月07日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。ここにも人生の選択、ということについていくつか書いたことがあります。ただ、本当に選択したのかどうか、疑問に思う部分もあります。つまり、それは自分が選択したのではなくて、選択せざる得なかったのではないかということです。目先のランチに何を食べるか位であれば、選択している?のかもしれませんが、本当の大きな人生における選択は、自分の中で決まっていて選んでいるのではないかと思います。例えば、高校選びでも、大学選びでも良いのですが、私はそこについて、成績などの数値的なことは説明しますが、○○だから、良いですよ、というような事は基本的には言いません。何をもって良いのか、と言う部分は、その人にとって、全く異なるからです。ですので、興味があるのであれば、是非、足を運んでください、と言います。そこに行った時に、感じるものがあるはずなんです。「ここは違うな・・」とか、「なんか良い感じがする・・」とか。私の持論ですが、人はそれぞれに答えを内部に持っていると思います。ただ、実際に考えていたり、調べたり、人に聞いているだけでは答えは出ません。まず、行ってみる、そして感じること。これが一番良い選択方法かと思います。調べる時間があるなら、まず、行ってみればいい。レストランならば、口コミでもいいでしょう。学校選びは口コミで選べるのでしょうか。みんなが良いというところがその子にとって良いところなのでしょうか。学校選びに限りませんね。全てそうです。考えて動けないのならば、まずは行動を取る。で、失敗したら反省すれば良いのです。本当の意味での失敗は、この世に存在しないと思います。「○○は自分が選ばない方が良い」ということを学んだというだけです。ありきたりの言葉ですが、本当の失敗は、「やりたいと思っていたまま、行動をとらなかったこと」ですから。これが前向きな考え方というものです。

自由研究

2015-08-06T05:37:22+09:002015年08月06日|武蔵新城|

おはようございます。塾長の鈴木です。毎日、本当に暑いですね。中学生の夏休みの宿題を見ていて、もったいないなぁと思うものの一つに、自由研究があります。テストで点数をとれない子ほど、「出せばいい」程度のものを出そうとします。学校の先生にもよるとは思いますが、こういった、何をやっても良い系というのは、やればやっただけ評価されるんですよね。本来ならば、点数をとれない子ほど、めいっぱいの事をやればいいのに、最低限のことしかやらず、なるべく楽なやつ、とか、時間のかからないもので、となります。少なくとも高校は成績の合計点で評価されるのであれば、誰にも負けないくらいの自由研究を出したら、それはそれで通常は加点になります。そうすると、テスト80点程度でも、成績が5になったりする、ということもあります。つまり、+1されたりすることもある、ということです。めいっぱいの事というのは、中学生であれば、レポート40~50枚程度で良いかと思います。理科が好きな子や、確実にプラスαをねらう子はそれくらいやってますね。もっとも、通常、写真などで、原理や、実験方法などのページが多いだけで、別に文章でめいっぱい書くわけではありません。書き方にもコツはあります。それでも、枚数が多いだけでインパクトがありますから。それでいて、内容にもよりますが、実験が終わったのち、レポートを作る時間はせいぜい、4、5日かければ終わるでしょう。ですので、見た目ほど、本当は大変ではないんです。ただ、「出せばいい」程度の人に比べれば、何倍も評価は変わります。部活で忙しいといっても、お盆休みもあるでしょうし、別に毎日16時間拘束される部活はないでしょう。時間はあります。確実に。テストはみんな頑張りますから、差をつけるのが難しい部分もあります。テスト勉強もするけれども、プラスαで考える。別にさきほどの枚数までなくてもいいですが、成績を確実にあげたければ、それもすればいいだけなのに、「カンタンにすまそう」とするのが、もったいないな、と思います。みすみす、本当は誰でも取れるところに手すら伸ばしていない、むしろ、「成績悪くていいです」と言っているようなものです。自由研究に限りませんが、目いっぱいの事をやるから、個性が出るんです。本来、一人として同じ人はいませんが、適当なことをするから、差が見えないのです。