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勉強方法も人によって正解は異なる

2015-01-06T01:52:12+09:002015年01月06日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今日から仕事はじめという方も多かったかと思います。また、学生であれば、もう少ししてからですね。さて、勉強の仕方というのも、人によって合う合わないというものがあります。例えば、英語であれば「単語を覚える」というのは、人によっては意味がない、という人もいますし、「まずは単語からだ」という人もいます。これは、実はどちらも正解です。といいますのは、人によって、勉強に使う時間や、また目指すところが異なるからです。勉強を普段からする人であれば、単語だけを覚える時間など、無駄な時間でしかないでしょう。しかし、入試前やテスト前を中心に勉強をする人であったり、会話中心であれば、単語とそこについている基本文を完全に覚えることでもかなり力になります。単語力がついていれば、少なくとも、会話では、単語をつなげれば伝えることが出来ますし、長文を読むときにもなんとなくの意味をとることはできます。しかし、単語力がなければ、いくら構文を覚えていても全く使うことが出来ません。どういった勉強方法が良いのか。それもまた、自分に合った方法を見つけることが大切です。それも試行錯誤でしょう。やってみて、「自分には合わない」とか、「自分に合う」というものがわかるものです。そして、その正解は、人によって異なります。

場の持つ力

2015-01-05T00:37:11+09:002015年01月05日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。前にもここで書いたことがあるかもしれませんが、「モノや場所の持つ力」というものがあると思います。例えば、自分の経済状態にかかわらず、一流のホテルに泊まるようにする、ということは、大切なことのように思います。それは場所が持つ力というものがあると思うからです。会社のお金であれば、極力安いところにするのは当然です。しかし、そういう時は、自腹を切って、一流のホテルに泊まるようにします。一流のホテルというのは、やはりそこに見合った人たちが来ます。そして、そこで接客する従業員の方たちもまた一流の接客をしてくれる可能性が高いです。そこで何を感じるのか、何に気付くのか、何が身に着くのか、人によって異なると思います。旅行などでもそうでしょう。お金がないから安いところにしか泊まれない、というのであれば、旅行に行く頻度を減らしてでも、良いところに泊まるようにする。これが、一流を身に着けることの出来る一つの経験になるものならば、きっと、価格以上のリターンはあると思います。

トントン拍子

2015-01-03T20:50:21+09:002015年01月03日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。何かを選ぼうとするとき、トントン拍子で進む、ということがあると思います。特に大きな節目になるようなものや、大きな買い物ですね。例えば、家、車、結婚…などでしょうか。結婚などは一人でしたいと思っても出来るものでもありませんし、家を買うときも、そう簡単に買いなおしたりするものでもありませんので、慎重に選ぶものかと思います。車は家に比べれば一般的には安いものですが、1年に何回も買うということは少ないでしょう。数年に1度くらいではないでしょうか。こういった、慎重(?)に選ぶものほど、本当に正解の時にはトントン拍子で進むもののように思います。家なども、3年間探した、という人よりも、多くは、思い立って見に行って、すぐ買ったという人の方がより正解をつかめる確率が高いように思います。結婚にしても同じですね。条件を良く見極めて、失敗しないように慎重に・・というよりも、良く相手のことは知らなかったけど、この人が結婚相手のように思う、みたいに、出会って数回や、または出会って数か月で結婚、というような形もあるわけですし。恐らくそういった、「トントン拍子」というのが起こるのは、「直感」がはたらいているからかと思います。本当に「良くわからないし、不安がいっぱいだけど」と思いながら、家を買ったり、結婚相手を選ぶということはないでしょう。ですので、あまり、「条件探し」に慎重になるよりも、自分の直感を使うというのは、大切なことのように思います。家電を買うのであれば、「必要な機能」を求めるのは当然かと思いますが、「人」や「家」は考えてもなかなか先まで見通せるものではないですし。

協力と自己開示

2015-01-03T02:45:33+09:002015年01月03日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今日は(日付変わっていますが)、初売りがさまざまなお店で行われていました。良いものを安く買うことが出来れば、嬉しいですよね。さて、三人寄れば文殊の知恵、とも言いますが、なんでも、「自分でやろう」とすることは、基本的には、あまり良いことではありません。勉強など、自己完結できるものについては良いですが、社会人になって、仕事をする、といったときには、どれだけ周りを巻き込んで、ある方向に進めるか、ということが大切になります。どれだけ、ある個人の能力が高かろうと、一人一人の持っている時間は24時間しかありませんから、周りの人と協力して行うことで、2倍、3倍、4倍と一人一人が別々に行うよりも、大きな成果を出すことが出来るようになります。そのためには、やはりコミュニケーションが必要です。コミュニケーション不足であれば、2人、3人でやってもかえって成果が低くなるということもあり得ます。協力するなかでの人と人をつなげるものは、コミュニケーション、つまりは自己開示です。良くわからない、という人は信頼されません。安心できる人というのは、自己開示が出来る人です。

明けましておめでとうございます。

2015-01-02T00:59:13+09:002015年01月01日|武蔵新城|

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。塾長の鈴木です。私がアドバイスすることの一つに(このネタは生徒さんには言うことはありませんが)、「自分の気持ちを変えることは難しいかもしれないが、行動は変えることが出来る。行動が変われば気持ちも変わる」ということがあります。時々、ここにも書いていますが、例えばいつも悪い方、悪い方にばかり考える人は、そういう人たちがとるような行動をとっています。ネガティブな考え方の人の行動というのは、ありとあらゆることに不平不満を言うとかですね。もっとも、言っている本人にその自覚はないかもしれませんね。いわゆる考え方のクセというのがありますが、それも一つの性格というものです。そういう人は基本的に「悪い方悪い方へ物事持っていく」、「考え方」と「行動」をしているのです。だから、自分の目の前の物事がうまくいかないのです。その「考え方」を変えるというのは、何年にもわたってそのように選択していますので、その「考え方」を変えるというのは難しいものです。しかし、「否定的な事を言う」ということをやめる、これは出来るはずです。また、機嫌を良くしたければ、鼻歌を歌ったりするというのも有効ですね。これも気持ちを変える前に、行動を変えるということの一つの事例です。結局のところ、人生というものは、自分自身が作っていますので、「他人のせい」というのは何一つ存在しません。周りに起きている、「自分にとって不都合なことは他人のせいだ」と思っている限り、物事は好転しません。なんらかの出来事を起こしたのは「他人のせい」という例もあるのかもしれませんが、「解決するのは自分しかいない」ということです。他人を変えようなんていうのは、出来るわけがないんです。他人を変えようとするから、お互い傷つくわけです。自分が変わるから他人が変わるのです。自分の考え方を変えるために、まず、行動を変えるということです。

勉強とは何か

2014-12-31T21:08:26+09:002014年12月31日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。早いもので、まもなく、2014年も終わろうとしております。いよいよ2015年、教室としましても開校して4年目を迎えます。いつも考えていることは、この「勉強」というものを通じて、5年後、10年後に役立つようにするためには何を伝えたら良いか、ということです。問題を解くための「公式」や「解き方」など、そんなものは、10年後、20年後にはなんの役にも立ちません。例えば、中学生で学ぶ「2次方程式の解の公式」を知っていたところで、20年後までに使うことは通常皆無でしょう。英語にしても、語学というものは意志伝達のツールであり、文法を意識しながら発するものではありません。テストにおいては文法を暗記する必要はありますが、会話の場合は、基本、単語のウエイトが大きく占めます。そもそも、いちいち、日本語に訳してやりとりするものでもありません。どの科目にしても、そういった様々な「矛盾」をかかえているわけです。このような事は誰しもが気づいていることかとは思います。「勉強とは何か?」点数をとるためには、言うまでもなく「パターン学習」です。確実に解くことが出来る問題を1題でも増やす。しかし、それだけで良いのか。そこに何をプラスアルファすることが、この教室に通った意味になるのか・・。「わかる」→「解ける」→「???」この次のステップを見つけていきたいと思います。従来の考えで言えば、この「???」には「面白い」が入るかもしれませんが、私は、この「面白い」は、「わかる」よりも前の段階にあって欲しいと思います。さて、最後になりますが、今年は大変、お世話になり、ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いいたします。良いお年をお送りください。

今年もありがとうございました。

2014-12-31T01:58:41+09:002014年12月31日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。教室は年内は今日まででした。今年もありがとうございました。今までは中学生がメインでしたが、2014年は小学生の生徒さんが増えてきました。小学生の場合は、学校の授業も進むのが遅い分、難しい問題も解けるように、というよりも、基本を着実にというところがあります。中学受験の子はもちろん、それだけでは足りませんが、受験をしない生徒さんにおいては、まず、算数においては、足し算、引き算、小数、分数が正しく計算できること。これが、やはり大切です。学年がまだ低いうちは、苦手なところがあっても、まだ学んでいることが少ないので、比較的すぐに埋めることが出来ます。小学生のうちから見させていただくという場合は、長期的視野を持って、勉強を見ることが出来ますので、それもまた、楽しみです。

小説

2014-12-30T02:42:31+09:002014年12月30日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私は本は良く読むとはいっても、小説は殆ど読みません。恐らく、今まで読んだ本の5%に満たないと思います。それは、どうしても、「実」を求めてしまうからかと思います。つまり、何か自分の知らない何かを知りたい、というところから、本を読むことが多いということですね。しかし、結構、心に残るのは「小説」かと思います。色々な本を読んでも、1年後に詳しく説明出来る本は、殆どありません。多くのビジネス本は、1冊1時間程度で読み終えてしまいますので、その分、「面白かった」と思っても、頭にあまり内容が残らない、ということも良くあるんですよね。その点、「小説」は、1度読めば、1年後であっても、内容を説明出来る。それだけ、印象深いのかと思います。私も、今は行き帰りの道中で、電子書籍をスマホで読むのですが、あるときなど、電車に乗っていることを忘れてしまい、「ここはどこだ?」と関係ない駅に降りて、どこに行くかを少し考えなければいけないこともあったくらいです(笑)そして、最初に書いたような、「実」がないとも決して思いません。小説の一番面白いところは、その主人公の立場になれるということです。ということは、あたかも、そのストーリーの中の主人公が経験したことを経験したように感じることが出来る、これも小説の面白いところでしょう。もちろん、人によって、感じ方も違うわけですが、だからこそ良いわけですが。いまさらながら、小説も、いいな、なんて思います。

一日千秋

2014-12-28T23:19:42+09:002014年12月28日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。本当に今年もあとわずかになりました。毎年毎年、一瞬で過ぎますね。特に受験生にとっては、入試が1日1日と近づいているわけですから、むしろ、もっとゆっくりにしてほしい、そう思うかもしれません。逆に、そういうときというのは、日が過ぎるのが早く、逆に、早く日が過ぎて欲しいと思えば、ゆっくりに感じるでしょう。一日千秋の思いというところですね。早く過ぎようと、ゆっくり過ぎようと、その瞬間瞬間に生きる以外に方法はありませんから、自分らしく、一つ一つを丁寧に選択をしていけば良いのかと思います。

右へ左へ

2014-12-28T03:28:44+09:002014年12月28日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。良いも悪いもないですが、おそらく、良い生き方をしている人とは、その人がその人らしくあること、だと思っています。映画でも、漫画でも、芸術でも良いのですが、「良くここまで表現したな。本当に自分の感性のままに作っているんだろうな」というものは、勢いがあります。これは別に芸術家だけに限らず、私たち全員に当てはまることかと思います。「ねばならない」で作ったものや、行動したものは、やっぱり面白くありません。なぜならば、見た人に「ねばならない」ということを与えるだけだからです。右へ行きたいならば右へ行き、左へ行きたいのならば左へ行く。当たり前のことですが、これが生き方のコツだと思っています。「普通は○○するものだ」これこそ、本来不自然なものかと思います。「普通」とは何を持って普通というのか。人は皆、人それぞれに異なります。平均をとって、みんなが行っているから自分もするものだ、とは限らないと思います。右へ左へ自分の思いのままに生きる。これがきっと、その人がその人らしくあり、そして、周りにとってもベストな結果をもたらす生き方なのだと思います。もっとも、その人がどういう思いで右へ左へいっているのか、その根っこの部分がどこにつながっているかが大切なわけですが。