植物図鑑0007(松下)
シダレウメ【枝垂れ梅】:Prunus mume form. pendulaバラ科サクラ属花まだ少なき初春に絢爛豪華に咲き誇るウメです。まだ咲き始めたばかりですが、青空に映える濃桃色の八重咲きの花が咲いていました。優しい香りもあり、しばし観梅を楽しみました。
シダレウメ【枝垂れ梅】:Prunus mume form. pendulaバラ科サクラ属花まだ少なき初春に絢爛豪華に咲き誇るウメです。まだ咲き始めたばかりですが、青空に映える濃桃色の八重咲きの花が咲いていました。優しい香りもあり、しばし観梅を楽しみました。
こんばんは。塾長の鈴木です。明日は、公立高校入試の2日目ということで、面接です。基本的に、生徒さんが、「こんなことは言ってはダメだろう」なんて思っていることが、実は逆、ということがよくあります。みな、面接も、「模範解答」のように答えるのが良いと思っています。「模範解答」とは、「勉強とスポーツとをがんばります」のようなものです。これを具体的にいうわけですが。これは、良い答えのようで、一番、加点対象にもならない答えです。100点のテストで言えば、60点ですね。そんな誰でも思いつきそうな、薄っぺらいことを言うのではなくて、「自分」を話すんです。中学の間なりに、何に力を入れてきたのか。もちろん、部活なら部活で良いですし、委員会活動なら委員会活動で良いんです。それも、自分だけのことを言うことが大切です。「こんなマニアックなことを言って良いのだろうか」って、思うのかもしれませんが、それを言うから、「自分らしさ」が伝わるのです。後は、志望動機ですが、「大学に進むために~」なんていうのは、まったく志望動機にはなりませんし、それも作ったものでしょう。別に大学に行くだけなら、どこの高校に行ったって大して変わりません。自分だけの理由が本当はあるはずなんです。どうして、それを隠そうとするのか。面接は、いつも言いますが、「あなたは誰ですか?」と聞いているだけです。自分は誰なのか、自分で調べて文章にして、それを他人にわかるように伝える。ただ、それだけです。
こんばんは。塾長の鈴木です。いよいよ明日は、公立高校の入試日ですね。受験生は、できることをめいっぱい、やってきてもらえればと思います。今日、教室に向かう際に、見知らぬインドネシア(?)等の東南アジア系の顔つきをした小学生くらいの男の子が私を追い抜きざまに、こっちをむいて、「おはようございます」と言って走っていきました。もちろん、私も、「おはようございます」と返しましたが、本当に素敵な感じがしました。普通、通りがかりの人に挨拶をする、というのはなかなかないですよね。挨拶というのは、特に何か意味のある言葉ではありませんが、一瞬で、お互いの気持ちを確かめる、魔法のことばです。挨拶がきちんとできる子というのは、それだけでも得をします。もっとも、あまり社交的ではない人は挨拶って苦手ですよね。挨拶は人とのコミュニケーションですから。私も得意とは言えませんが、結構、挨拶は好きです。
こんばんは。塾長の鈴木です。私が思っていることの一つに、ある出来事の前には必ず前兆があると思っています。ただ、その前兆に気づけるかどうかは別の話ですが。かつて、エンジニアだった時代にも装置に何か不具合があるときには、なんらかの形で、「?」という現象をどこかで出してくれます。それを「見間違いかな」などともみけすと、あとあと、面倒なことになって障害が起きたりします。これは、装置に限らず、人間関係でも、自然災害などでもそうかと思います。何かが起きるときには、必ず予兆、前兆があります。それを拾えるか拾えないか。それが結果を左右するのだと思います。一見、「いきなり」のように見えるものでも、前もって教えてくれている、どこかに何かヒントがあると思っています。
こんばんは。塾長の鈴木です。いろいろな生徒さんを見ていますと、本当にみな、タイプが異なります。具体的には、理解スピード、定着する比率などさまざまなパラメータがあるわけです。あと、もう一つ。古臭いかもしれませんが、「意志の力」ですね。運動でも、足が速い人もいれば、遅い人もいるように、勉強も、もって生まれた部分というのもあります。勉強も同じで、何か新しいことを伝えても、すぐに理解して、すぐに使えるようになり、かつ定着率も高い。こういう子は難関校であっても、軽々と合格します。その場合、何が何でも合格するとか、そういった意志なども一切もっていなかったりします。ただ、そういう子は、そうそう多くいるものではありません。勉強ができるタイプにも、努力型と、秀才型というか、やはりタイプがあります。先ほどの軽々と何でもこなしてしまうような子を秀才型というとするのならば、努力型というのは、意志の力で物事を達成する、そのように思います。どちらが良いというものではないと思います。背の高い人、背の低い人がいるように、それも個性です。自分にあった方法で目標をかなえればよいのだと思います。そもそも、人のパラメータというのは、運動や成績だけではありません。絵を描くことや、歌を歌うこと、人と話すこと、相手の気持ちを読むこと、思いやりがあること、乗り物の操縦がうまいこと、周りを盛り上げることができること、あげればきりがありません。学校で運動のできたひとや、成績の良かった人が社会人になってからもカッコイイかどうかは別の話です。結局、生き方、考え方次第なわけですから。
こんばんは。塾長の鈴木です。自分の環境などにおいて、「あと少し、○○があれば・・」ということもあると思います。その○○というのは、「お金」なのか、「能力」なのか、「人」なのか、なんでも良いのですが。しかし、本当は足りていないものはないように思います。足りていないものは、自分自身が足りていないものです。人が産まれてくると、まず最初に思うことは、「もっともっと」です。幼児を見ていると、「あれも欲しい」「これも欲しい」「全部欲しい」と言っています。つまり、自分にとって、「足りない」状況に目を向けて、それをかなえて欲しい、と思い始めます。そこから、だんだんと大きくなっていくと、持っているものに気付くことが出来るようになります。それに気づくことで、実は足りないものなど、何もない、と知ることが出来ます。そうすると、今度は、足りないとかつては思っていたものが、逆に十分にある環境が作られていきます。そもそも、足りないと思っていたその環境自身、自分自身が「足りない」と感じているから作られたものですし。
こんばんは。塾長の鈴木です。今日は、川崎高校付属中学の合格発表の日でした。無事、受検した生徒さんも合格しました。おめでとうございます。倍率は昨年の7倍よりは下がりましたが5倍ですから、良く頑張ったと思います。さて、どんなことでも良いのですが、相手に対して思うことというのは、基本的に自分が思うべき気持ちであることが多いです。どういうことかといいますと、ある、他人に対して「こういう時には、こういう風に思うものなのに」などと思ったとします。実はそれは、自分に対するメッセージです。ですので、ある他人に「○○だと思って欲しい」と思うのは、それは、自分自身が相手に対して「○○だと思う」べきこと、であるということです。例えば、「こんなに○○をしたのだから、感謝されて当然」などと思ったら、それは逆なのです。自分が相手に対して感謝をしなればならないときに思う気持ちなのです。良く、他人は自分の鏡といいいます。それは、自分自身を映しているからです。人のふりみて我が身を直す、とも言いますが、実際のところ、それは、人のふりというよりも、自分のまずい点であったりするものです。
こんばんは。塾長の鈴木です。毎日、どんどん寒くなりますね。家のそばだと、夜などは、車に霜が降りているくらいです。武蔵新城はそこまででもありませんが・・。中学生は、今週は私立入試があったりしますね。もっとも、私立は滑りどめで、公立が第一志望の人が大半ですから、メインは来週でしょう。中学生は、他の学年も定期テストですから、今週は忙しい時期かと思います。高校生は、3月頭が定期試験ですから、だんだんと準備をしてくるときですね。1年1年、あっという間に過ぎていきます。ついこの間、約3年前に中3で受験で忙しかった子たちも、もうすぐ高校3年生。いよいよ、また受験になるわけですね。楽しみでもあり、やりがいのあるときでもあります。
こんばんは。塾長の鈴木です。毎日寒い日が続きますね・・。勉強というものは「大変」というイメージがある人もいるかもしれません。確かに、「大変」と思っている人にとっては、とても大変なものかと思います。「簡単」と思っている人にとっては簡単です。ただ、勉強にしても、スポーツにしても、思うのは自由ですが、行動をしてはじめて結果がついてきます。どうせやるなら、ハイスコアの方がいい、何点取れるかやってみよう、そう思えて楽しめる人は本当に何点でもとれます。「やらなければならない」という義務感でやっている人よりも簡単に何倍も点数がとれてしまいます。定期試験にしても受験にしても、やる必要があるのだったら、自分なりの楽しみ方を見つける。これは、勉強に限らず、通用する、物事で結果を出す方法です。
こんばんは。塾長の鈴木です。小学生から高校生までの生徒さんがいらっしゃいますが、長く通っていただくことで、「成長」を見ることが出来ます。もちろん、体の大きさというのもありますが、むしろそれは普段から見ているので気づかないのですが、わかりやすいのは、「心の成長」です。中学生にしても、はじめから、「大人」の子もいれば、全く小学生と変わらないような子もいます。前にも少し書きましたが、「大人」というのは、物事を自分の責任ととらえることが出来る子です。「子供」というのは、なんでも他人のせいにします。それが変化してきたときというのは、とても驚きますし、逆にこれからが楽しみになってきます。勉強が出来る、出来ないよりも、人としての成長ということが一番大切ですので。もっとも、そういった心の成長のある子というのは、勉強面においても伸びてくるものです。