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答えに気づく

2015-03-18T03:34:14+09:002015年03月18日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。大分温かくなってきましたね。むしろ、暑いくらいでした。本を読んだり、インターネットで調べたりと、自分の何か知りたいことを調べる、ということはあると思います。特に、単純な知識的なものであれば、それらで解決できるかと思います。しかし、その人だけの問題の場合は、なかなか、それでは答えが見つからない、ということもあります。そもそも、ある人にはある答えが適していたとしても、その人にも当てはまるかと言えば、そうとは言えないでしょう。そういった問題の解決策というのは、案外、なんらかの形で、答えは出ていたりします。ただ、そのことにその人が気づけるか、気づけないか、ですね。答えを見つける、ということもありますが、答えに気づく、ということも大切なことです。

バランス

2015-03-17T03:04:14+09:002015年03月17日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。物事には、バランスというものがあります。買い物などにおいてもそういったものは特にありますね。例えば、何でも高ければ良いといえば、それなりに良いかもしれませんが、あるところを超すとあまり変化がなかったり。逆に、安くしていくと、あるところを超えると、逆に、「安物買いの銭失い」にもなりえます。そして、自分の想定している価格とを合わせて、その他にもあるかもしれませんが、いくつかのパラメータを合わせてバランスをとるわけです。仕事一筋も良いかもしれませんが、身体を壊してしまっては、これも元も子もありません。このバランスの面白いところが、一番のパフォーマンス(能力)発するのが、限界点なんですよね。バランスを崩すか崩さないかのギリギリということです。たまに例え話に出しますが、車が一番、グリップ(すべらずに踏ん張る力)を発揮するのは、甲高いスキール音(タイヤが滑るおと)が出ている時で、若干滑ってはいるけど、スリップはしていない、という時なんです。案外、物事もそういった物理現象と同じようなこともあるのかもしれません。

答えは近くにある

2015-03-15T04:15:40+09:002015年03月15日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。さて、高校生の定期試験もだんだんと返ってきたところですね。中学の時の内申点などとは少し意味合いも違いますが、定期試験のおかげで、その時その時に合わせて勉強をする、ということもあるかもしれません。さて、何かの答えを探している時、案外、答えというのは近くにあるように思います。近くというのは、物理的距離が近いことかもしれませんし、心的に近いものかもしれません。少し、簡単な例として、「休日にどこに行こうかな」と考えたとします。もちろん、飛行機を使って遠くに行くのもまた、楽しいと思います。でも、実は近くにも楽しめる場所があったりもします。答えは案外近くにある、ということは良くあるものです。遠くに行ったら楽しくて、近くだったらつまらない、ということもないわけです。自分が一番、しっくりくることを選択すればよいわけです。

問題を良くよみなさい、は通じない

2015-03-14T13:47:35+09:002015年03月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。勉強の苦手な子の多くは、「問題文」を読みません。目で見ただけで内容を把握せずに、すぐに設問に入ろうとします。そのため、「○○でないものを選びなさい」と言われても逆のことを選んでしまったりします。「問題文」を読まない子は、試験はいつも時間が余るくらいですが、点数は全くとれません。そういう子に、「問題文をきちんと読んで」と言ったところで通じません。本人は読んでいるつもりですから。では、どうすれば良いかというと、生活習慣です。結局のところ、普段、どのように生きているか、ということなんです。なんでも、「雑」に扱う子は、問題を解くのも「雑」に解きます。つまり、普段の生活習慣を「丁寧に」することで、問題を解くときも「丁寧に」解くことが出来るようになってきます。問題の解き方というのは、実はある意味、その人の生き方の一面を示しているのです。誤解のないように補足しますが、点数の良い子が生き方においても優れているかというと、それは別の話です。テストの多くは、ただの「知識」を問う問題が殆どですから、点数とは全く関係ありません。ここで、述べたのは、点数ではなく、「解き方」についてです。

2015-03-13T02:40:11+09:002015年03月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今まで、一桁の点数の子を80点台にしたりと、数々の魔法と思われることは毎年のようにやっています。でも実は魔法なんてないんです。ただ、ひたすらに勉強の量を増やして、勉強の方法を教えて、間違えるクセを見つけてそれを直して練習をしているだけです。その時に大切なことは、やはり生徒さんの意識です。意識のある子は上にあげたことで点数は上がっていきます。しかし、いくら勉強量を増やしても、あまり点数がぱっとしない子というのは、そもそも、勉強に対する意識を持っていません。ここの「メンタル」の部分が一番大切だといっても過言ではありません。結局、心なんです。大切なのは教える技術でも内容でもありません。教える側の心が伝わるか、ということです。そのためには、その子の心を受け止める必要があります。

理系

2015-03-12T03:07:49+09:002015年03月12日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。世の中的には、理系の方が少ないはずなのですが、教室にいる今の高1は全員理系に進むとのことです。もちろん、本当に高3になったときにどうなるかはもちろんまだわかりませんが。理系文系というより、まぁ、正直、これは科目の好みですよね。「社会や国語に全く興味がない」という理由で、理系を選ぶ生徒さん達もいますし。私も同じ理由だったのですが、高校時代、社会や国語でどうやったら授業中起きていられるか、とても苦労した覚えがあります。(自分で自分の足をつねってなんとか起きようとするか、得意な科目を解きはじめて目を覚ますか)ただ、今、もし学生をやることになったら、間違いなく、大学は理系を選ばないですね。もちろん、どういうところかわかったからですが。それはそれが悪いということではなく、今度は、違う世界を見て見たいから、という理由です。理系に進んで良かったということとしては、物事の考え方として、理屈で考えることが出来るということでしょうか。現象を見て、仮説を立て、そして確認する。これは、理系の実験の考え方ですよね。もっとも、仮説の方が先だったりしますけど。どちらにしても、それぞれ良さがあるかと思います。色々迷って、選択していけば良いのです。どっちにしたら良いか、本当に迷うならば、実際は、どちらでも良いわけですから。本当に決まっていることは、瞬時に選べるはずです。

何度も書いて覚える、は意味がない

2015-03-11T03:20:41+09:002015年03月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。定期試験もようやく終わり・・というところですが、ここが、力のいれどころですね。勉強を全くしていなかった子が、勉強をするようになると成績は比較的上がりやすいのですが、それなりに「やっている」生徒さんの方が上がりにくい、なんていうことも起こりえます。それは、「密度」なんです。勉強をやっていなかった子であれば、「勉強をやっていない」という自覚がありますので、今までより勉強をする、ということが出来ます。しかし、なまじっか、勉強を「やっている」つもりの子は、時間としては皆持っている時間は増えませんから、ただ気持ちが焦るだけで点数が伸びない、ということもあり得ます。その場合は、「密度」を高める必要があります。勉強をやっているつもりの子で、成績が伸び悩んでいる子というのは、いわゆる、「無駄」なことをやりがちです。本人としては、机に向かって何かをまとめたり、ノートを作ったりするのですが、それは、全く点数になりません。もっとも、成果物が出来るので、「満足感」だけは得ることが出来ます。結局、やらなければならないことは、「演習」をして、「間違い」を見つけて、「間違い」をつぶし、「正解を増やす」ということをやる必要があるのです。例えば、漢字を覚えるでも単語を覚えるでも良いですが、何度も書いて覚えるというのは、非常に効率が悪いです。大切なことは、「覚えているか」どうかの確認が必要なのです。別に同じ漢字を5回書こうと10回書こうと見ながら書いている限り、回数には意味がないのです。ただ、「何度も書いた」ということで、「達成感」だけは得られる、実は「ただの指の運動」をしただけ、になってしまうのです。「記憶」するためには、「ひらがな」を漢字に出来るか、隠して書く、隠して書く、という風にしなければ、いくら書いても身につかないのです。隠して書く、という形でやれば、2、3回で覚えられるものです。「覚える」のが目的なのか、「指の運動」をしているのか、良く考えることです。目的は「覚える」ことのはずです。

選択

2015-03-10T02:16:19+09:002015年03月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。ようやく、高校生の定期試験も終わりますね。高校生にしても、最近、気になることとして、「ラクな科目はどれか」という基準で科目を選んでいる子も多いように思います。これは、大学生でも言えますね。出席が少なくて済むとか、課題だけ出せば単位がもらえるものはどれか、とか。・・自分が何かを学びたいから、学んでいるはずですが、実際、そういうわけではないというところでしょう。「○○の科目は難しい」とかなんとか言いますが、結局、何が難しいか、何が簡単かは人によって全く異なります。例えば、地理や世界史に全く興味のない子にとっては、社会関係の科目は恐ろしく、困難なものになるでしょうし、逆に物理などは、好きな子にとっては簡単でも、逆に興味がない子にとっては、これもまた困難な科目になるでしょう。関係ないんですよ。何が簡単か、何が難しいとか。いちいち、そういった先輩たちや周りの声に振り回されるのではなく、自分がどういったことに興味があるのか、ただ、それだけで選べばよいのです。あとで、「選んで失敗した・・」としても、では、他のを選んでいたら良かったかなど、全く関係ないし、わかるはずもないことなのです。まぁ、「隣の芝生は青い」というような、おかしな哲学を持っている人は常に後悔し続けるでしょう。自分が選んだ中で最善を尽くす。それに尽きるのです。

何がしたい

2015-03-08T23:46:40+09:002015年03月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。就活中の大学生でもそうなのですが、ある企業に志望するとき、「志望理由は何を書けば良いですか?」というようなことは良くあります。普通に考えれば、「○○だから、○○という企業を受ける」というような考えがあるのではないのか、と思うかと思います。しかし、誰しも経験があるかと思いますが、「本当に○○をやりたい。だから、この企業に就職したい」という方が少ないかと思います。良く言いますが、仕事は就いてみないと、そして死ぬ気で取り組んで、初めて、向いているとか、好きとか嫌いとか出てくるものです。就職もする前から、何がやりたい、というのは、理系の場合は比較的ある程度決まっている場合もありますが、よくわからない、ということの方が多いのではないかと思います。だから、「やってみる。死ぬ気でやってみる。」これが答えを探すベストな方法です。どんなことでもそうですよね。

世の中に必要なもの

2015-03-08T03:41:48+09:002015年03月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。最近、オークションサイトの「ヤフオク」を良く使うのですが、素晴らしいサービスですね。といいますのも、使っていなかった高額なモノも、個人売買によって売り買いできるわけです。例えば、手持ちのオーディオ機器などでも、リサイクルショップなどでは、二束三文になってしまうにも関わらず、ヤフオクなどで売れば、何万円にもなったりします。個人売買(実際は業者も多いですが)によって、業者が仲介することによる利益分がまるまるないわけですから。とあるリサイクルショップのビジネスモデルで言えば、定価の10分の1で買い取り、定価の半額で販売する、そして一定期間販売されなければ、どんどん価格を下げていく、というものがあります。つまり、1万円のものは、1000円で買い取り、5000円で販売する、つまり、4000円が業者の取り分になるわけです。個人売買であれば、1万円のものでも、場合によっては5000円で売れたり、人気のあるものの場合は、殆ど買値で売れたりします。もちろん、「怖い」「不安」「めんどう」と感じる人もいるかと思います。私も昔は全く興味がなかったのですが、一度はじめてみると、面白く、またコツをつかむので、どんどん出品したり、落札したりしています。こういったインターネットを介したサービスはますます出てくるでしょう。国交省が、「白タクにあたる可能性がある」などといって、新しいタクシーのサービスを中止させるようなことをしていますが、時代に逆行していると言えるでしょう。今、地方では高齢者が増え、車がないと生活できない人たちもいます。で、わざわざコンビニに行くのにタクシーを呼ぶのか、というと、あんな高額なタクシーをわざわざ呼ぶ人はいません。そういう時に、地元の人たちが空き時間に通り道がてら運んでいけば、どれだけ人の役に立てるか。今の日本に本当に必要なサービスは何か、常に考える必要があります。