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目標、大人、子供

2014-08-14T13:14:11+09:002014年08月14日|武蔵新城|

こんにちは。塾長の鈴木です。目標は、子供だけでなく、もちろん、大人にもある方が良いものです。子供たちは、定期試験や、部活動など、なんらかの自分の取り組みを評価する仕組みがあります。それにより、大学なり、就職なりというところで、その次のステップにつなげることができます。目標を持った方が良いというのは、学生時代も良く言われますが、なぜ持った方が良いのでしょうか。以前にも書きましたが、それは、明確な目標があれば、それを叶える為には、何をどれだけすれば良いのか、ある程度は見えてくるからです。これは、近い目標の場合は、顕著ですね。ただ、遠い目標、あまりに大きく、そのために何をしたら良いか見えないような目標を持った場合でも有効です。それは、その人が気付いていようといなかろうと、目標を定めたら、人は無意識のうちにそれを叶えようとする力があるように思うからです。つまり、その大きな目標を叶える方法が見つからなくても、自分がこれだと思うものを一つずつ重ねていくことで、加速的に物事が進み、大きな目標を叶えてしまうということがあるのです。子供に限らず、大人も、まずは目標を持つことが、物事を成し遂げるための一歩です。大人になると、毎日に追われ、目標を持つことすら忘れてしまいがちです。もちろん、目標などなくても、幸せな人生は送ることが出来ます。ただ、何かを成し遂げたいという気持ちがあるのならば、その目標は具体的にした方が良いでしょう。

努力??

2014-08-13T02:15:05+09:002014年08月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。勉強でも、仕事でも、スポーツでも良いのですが、何かを成し遂げるためには努力が必要、とされていると思います。しかし、本当に高いレベルでクリアしている人は、それを努力だと思っておりません。ただただ、ひたすらに、その人がやりたい、と思うことをつきつめて得た結果に過ぎません。ただ、はたから見てみると、それは、「努力」という風に映ります。ですので、「努力」というのは、自分がする努力と、他人から見た姿というのは、実はまるで違うということが往々にしてあります。誤解してはいけないのが、ある何かを達成した人が、「いや、努力ということはしていません。ただ、ひたすらに取り組んだだけです。」と聞いて、「努力は不要なんだ」と思っては、何も成し遂げることはできないということです。本人が努力だと感じていないだけであり、周りから見れば、それは努力に見えるわけですから。その「行動」をなくして、物事を成し遂げることはできません。

明日を変える

2014-08-12T04:26:34+09:002014年08月12日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。勉強でも、仕事でもなんでも良いのですが、何かを変えたいと思うのならば、まずは、今日から変えることです。わかりやすい例で、たとえば、良い成績を取りたいというのならば、今日から取組姿勢を変えることです。そうすることで、少しずつ結果が変わります。明日からは頑張ろう、は永遠に変わりません。何かを変えたければ、今、変わることです。

走る

2014-08-11T02:36:49+09:002014年08月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。物事の選択には、直感が大切であり、それに伴う行動も必要ということを今まで書いてきました。直感ということは、どんどん入ってきます。ただ、それが本当に自分にとって、良い直感なのか、それとも、あまり意味のない情報なのか、その判断というのはなかなかつかないものです。一番、手っ取り早いのは、それに対して行動をすることで、どういう結果になるのかを判断できるということです。失敗も成功もしないというのは一番もったいないことですから。その時にも、ただなんとなくやった、ではなく、「走る」ということが必要でしょう。もちろん、「歩いて」も良いのですが、結果を得るまでの時間がかかってしまうことがあるかもしれません。物事の結果を得るための姿勢としても、「走る」というのは、速度を上げることが出来ます。そして、その結果を得るまでの時間を短縮することが出来るということです。

事象はメッセージ

2014-08-10T02:23:29+09:002014年08月09日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。雨が降ると涼しくなりますね。人によっては、お盆休みかもしれません。ただ、教室は来週も通常通りです。通常、土曜日は開いていますが、来週土曜日だけ今年はお休みします。さて、どんなことでも良いのですが、何か、自分のひっかかることがあるときというのは、自分に対するメッセージです。もちろん、それぞれには表面的には具体的な理由がありますが、もう少し俯瞰(ふかん)的に見たときには、基本、自分宛てです。それに気づかない限り、何度でも、自分が気づくまで、事象は起こります。そういう風に物事をとらえてみてみると、新しい発見があるかもしれません。

想いと力

2014-08-09T03:19:22+09:002014年08月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。勉強でも仕事でもそうですが、成果を出せる人というのは、強い想いがあります。小学生でも、オール5のような子がいますが、そういう子は、「勉強が好き」だからなどとは全く関係なかったりします。純粋に、「人に負けたくない」という気持ちが普通の人より何倍もあるような人もいるのです。こういう子は、どこのステージであろうと、全科目で1位にならないと気がすみません。勉強が得意というと、本来苦手であろうはずの体育などでも、全ての競技で人の何倍も練習をして、必ず誰よりもうまくなろうとする。縄跳びのテストがあると言えば、毎日何時間でも練習をして、得意な子よりも得意になる。サッカーの試験があるといえば、それも毎日何時間も練習して、これも普通の得意な子よりも得意になる。中学入試などでも有利です。普通の子はそこまでストイックになれません。でも、はじめからそういう強い信念を持っている子は、恐ろしい位の集中力を持ち、短い時間で成果を出します。ただ、そういう子は、生活面でどこか抜けているところがあったりして、それはそれで面白かったりもします。そういうところを見ていると、人の能力のパラメータというのは、もしかすると、もともとの合計点は同じなのかもしれません。

信念と流れ

2014-08-08T03:38:12+09:002014年08月07日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。試験や入試に限らず、スポーツなどにおいてもですが、人の信念というのは物事をかなえる力を持っています。では、そういった信念がなければ、物事は叶わないのかと言えば、そうでもないでしょう。逆に、確信していたことが、思い通りにならないこともあります。人生における、さまざまな事象というのは、ある種の「流れ」があるのだと思います。その「流れ」という部分はもしかしたら、動かしにくいものなのかもしれません。人生は、その人の「想い」と「流れ」でできているのかもしれません。であれば、「流れ」の部分は「流れ」に乗った方が良いのでしょう。何が起こるかわからないから、人生は楽しいわけですし。

イライラの原因は全て自分

2014-08-07T03:46:01+09:002014年08月06日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。なんらかの事象に対して、「イライラ」すること、あると思います。一般的に、その事象というのは、他人の言動だったりすることが多いでしょう。その「イライラ」も実は、自分に対する信号です。それも、相手からの信号というよりも、自分が出した信号なのです。全ての他人は、自分の鏡です。自分が出した通りに跳ね返します。つまり、何か他人の言動から「イライラ」を感じたのだとしたのならば、それは、自分が相手にその「イライラ」を与えたのです。何か「イライラ」することがあったとき、相手に対して、「この野郎」ではないのです。相手に対して「ごめんなさい」自分に対して、「何やっているんだ」ということです。こういった、鏡の法則的なことに気付くと、物事は全て糧にすることが出来ます。「相手が悪い」といっているうちは、何も成長が出来ません。

文章の書けない子は、成績も厳しい

2014-08-06T13:20:10+09:002014年08月05日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。毎日暑いですね。最近、少し風が強いです。さて、中学校位ですと、読書感想文ですとか、何か「書かせる」系の宿題が出たりします。この手のものを本当に書けない子もいます。そういう子の多くは、勉強も苦手な子が多いです。本来、「暗記系」の勉強と、文章を書くということは関係してこないはずですが、私が学生時代の時を思い返しても、勉強が出来ない子は、この手の文章も書けませんでした。書いては消して、書いては消してを繰り返す為に前に進まないのです。本当は、書くから前に進むのに、それを理解することが出来ないので、すぐに消し始めます。仮説ですが、逆に言えば、この文章を全く書けない子が、日記などでも少しずつ書くようにすることで、成績も連動してくるということはあるように思います。もちろん、文章を書くのが得意だから成績も良いとは限りませんが、文章を書くのが得意な子は、もともと読書を多くしていたりしますので、ボキャブラリーが多いんですよね。どちらにしろ、文章を書くという作業は、この先もずっと増えてくるわけですし。

ぼーっとする時間も大切

2014-08-05T02:30:12+09:002014年08月04日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。すごい人というのは、1分1秒を大切にして、次から次へと物事をこなしていく人、というイメージがあるかと思います。ただ、それとは逆行しているように見える時間、ただ、ぼーっとする時間も何か意味があるように思います。ただし、テレビやインターネットを見て、「ぼーっとする」は、ぼーっとしておらず、本当に時間の無駄かと思います。その、「ぼーっと」した時間から、何かアイディア等が生まれることもあるように思います。