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イヤな事は自分が作っている

2014-09-14T02:56:49+09:002014年09月14日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。学生時代を思い返すと、何かしら、「イヤな事」が多かったように思います。しかし、今では、「イヤな事」というのは特になく、何かうまく行っていないことがあれば、それは、「課題」というだけでとらえています。学生時代と言えば、たとえば、体育の○○の競技が嫌だなぁ、とか、塾が嫌だとか・・。高校生になって、大分そういった事が減り、大学生になったらまた減って・・社会人になったら、ちょっと、嫌な事だらけになり・・(仕事がうまくいかず)24歳のときにある本を読んで、嫌なことなども結局は自分次第であることに気付き、それからは、本当にある意味安定しています。別に何もかもがスムーズというわけではないかもしれませんが、自分が出来事に右往左往することがなくなったように思います。イヤな事というのは、口に出したりするから、きっとイヤな事になるのでしょう。どんな物事も自分がラベルを貼っているだけだと気づいてしまえば、特に「イヤな事」というのは殆どなくなるように思います。

「○○の為に」は怖い

2014-09-13T04:11:05+09:002014年09月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私が人の心理で怖いと思うものの一つに、「○○の為に、やっている(○○というのは人の名前)」という気持ちです。友人同士や、恋人同士が「相手の為に」一見、普通に見えるかもしれません。友人同士でも、恋人同士でも相手に尽くすということもあるでしょう。何が怖いかと言えば、その「○○の為に」という気持ちは、あくまでバランスが取れている時のみに成り立ちます。つまり、相手が自分の思い通りにならなければ、「なんで、これだけ自分がやっているのに」と思うかもしれませんし、彼氏なり、彼女なりに尽くしていても、相手から「別れて欲しい」と言われたら、裏切られた気分になるかもしれません。つまり、一見「愛情」に見えるものが、「憎しみ」に変わることがあり得るわけです。(本当は情だけで、愛情ではありません。)実は、はじめから、その「○○の為に」という時点で、ボタンを掛け違えているのです。「○○の為に」というのは本来ありえません。全て、同じだけの重さで自分の為です。つまり、「○○の為に」と思っていると同時に、それは自分の為でもあるわけです。先ほどの恋人同士の話にしても、「自分はこれだけしてあげたのに」というのがおかしいのです。同じだけ自分もしてもらっているのです。だから、「○○の為に尽くしている」という気持ちは、本当は自分の為でもあるにも関わらず、それを忘れてしまう。私が他人の話で、「こんなに尽くしているのに」という言葉を聞くと非常に怖いと感じる理由です。それは、自分自身が見えていないということを言っている人が言う言葉だからです。私も、昔から後輩に食事をおごることがあったりしたときも、「おごってあげる」などとは思ったり言ったことはありません。「おごらせていただく」そう思っています。誰かに喜んでもらえれば、それが自分にとってもプラスなわけですから。

テレパシー

2014-09-13T02:36:30+09:002014年09月13日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。今日で、西中原中も、橘中も定期テストが終わりました。みなさん、お疲れ様でした。とはいえ、中3はここからが踏ん張り時ですね。さて、怪しいタイトルです(笑)。結構、あるんです。私自身。いや、カッコいいのはないですよ。良くあるのは、私は家に帰ってから夕食を食べるのですが、「あ、今日は外で食べるか・・?」と、一瞬頭に浮かぶと、すぐ、メールで妻から、「今日は外で食べてきて」という連絡が来ます。今の世の中にはメールがありますから、全くもって何の役に立たないテレパシーですね。この頭に浮かんだのちのメール連絡が来ることは、ほぼ100%あたります。たぶん、こういったことは誰しもあると思います。電話しようと思っていたら、相手からかかってきたとか。恐らく、こういったことも科学で証明できるようになるのかもしれません。目に見えない力や信号と言えば、電波、光、音、重力・・まだ何かあるのかもしれません。

正解かどうかはフタを開けるとわかる

2014-09-11T22:45:45+09:002014年09月11日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。昨日、「悩み事は、幸せ事」と書きました。本当にその通りで、「悩み」から「課題」と「解決策」と「正当性」が産まれます。どういうことかといいますと、なんらかの「悩み」があったとき、ある、「解決策」を打ちます。そうすると、なんらかの「結果」が返ってきますが、そういった結果は、「正解か不正解」かは、それほど時間がかからなくてもわかります。直感的な事で言えば、瞬時に感じ、そのあとで、実際にその正解か不正解かが見えてくるというところでしょうか。「悩み」は誰しもない方が良い、そう思うと思います。でも、本当に「悩み」が何もなければ、何も成長しないでしょう。そもそも、「悩み」という文字があまり良くないですね。もし言うとするのならば、「クイズ」ですね。人生というのは、死ぬまで続く「クイズ」を解き続けるようなものかと思います。

悩み事は幸せ事

2014-09-10T23:07:06+09:002014年09月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。どんな物事にしても良いですが、生きていれば、何かしら悩みがあったりするかと思います。そういった悩みがあると、目先が真っ暗になったり、落ち込んだりするかと思います。しかし、悩みというのは本来はラッキーなことです。なぜならば、何かを学ぶ事の出来るチャンスだからです。学ぶことが出来る事だからこそ、「悩む」のだと思います。学ぶこともないことであれば、「悩む」こともないでしょう。落ち込むことや、ショックを受けることというのは、自分に何かを気づかせるために起きている、私はそう考えています。そう思うと、自分自身も明るくいられますし。

これくらいでいい、なんてない

2014-09-10T02:47:57+09:002014年09月10日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。自戒を込めて、書きます。「これくらいでいい」ということは本来ありません。植物にしても、精一杯咲こうとしますし、野生の動物だって、精一杯生きようとするでしょう。ところが、人というのは、すぐに「これくらいでいい」と力を抜きます。この世に生きているということは、精一杯出来ることをして、人の役に立ついうことです。それが出来なければ、それは生きているとはいいません。惰性で生きているというのは、ある意味死んでいるともいえます。・・自分自身が惰性で生きているだけではないのかと反省する日々です。

頑固は損

2014-09-09T03:48:32+09:002014年09月09日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。基本的に頑固な人というのは損をします。もちろん、何かを成し遂げる!という固い意志は大切です。頑固とはそういう意味とは異なります。頑固というのは、人の話を聞かない人です。これは、勉強に限らず、スポーツでも就職してからの仕事でもそうでしょう。素直というのは、自分の意見を持たない人ではありません。まずは、その方法でやってみよう、とすることです。そして、何かを得るから前に進みます。年が若いとか、年を取っているかどうかにかかわらず、頑固かどうかは性格によるところが多いでしょう。なんとなくですが、自分自身を振り返ってみても、中高生位の時がむしろ頑固になってしまう人が多いかもしれません。素直というのは成長出来る人です。頑固というのは成長が止まった人です。ただ、中高生位のうちは、だんだん、その頑固がまずかったんだな、ということに気付いて、人の話を聞くようになって、成長していくのかもしれません。

物事は、やったこと以上の成果は出ない

2014-09-08T01:35:52+09:002014年09月08日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。どんなことでもそうですが、やったらやっただけの結果はついてきます。ただ、やり方が間違っていたり、方向性が誤っていると望まない結果を引き寄せるかもしれません。では、やり方はどうすれば良いのか、方向性はどうなのか、それが難しいのかと言えば、おそらく、そこはあまり難しい話ではないと思います。方向性というのは、考え方ですが、何が正しくて、何が間違っているか、こういったことは、幼稚園や小学校で習ったようなことが案外正しいです。人を蹴落としてでも、前に進むとか、変な知恵のついたような方法というのはやはり間違っています。全ての競争は自分との競争でしかありません。話を戻しますが、幼稚園や小学校で習ったことと言えば、・正直に・一生懸命・人に喜ばれるように・心を込めて・物事を行うこういった事ではないでしょうか。中学生になろうと、高校生になろうと、大学生、社会人になろうと、変わらない部分は変わりません。

テストの目標点は具体的にする

2014-09-06T03:54:00+09:002014年09月07日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。私が指導する際に、テスト前は特に意識していることがあります。それは目標点を決めることです。そして、それを生徒にも納得してもらい、それを目指す。教える側にしても、ただ、頑張ったら良い点がとれるかも、のような姿勢では甘すぎるのです。何が何でも○○点をとってもらえるように指導する。教える側もベストを尽くせばそれでいいわけではないのです。具体的に目標点を出すから、具体的な行動が出て来ます。ある程度教えていると、ここまでできれば、大体何点とれる、ということがわかってきます。まだ、生徒さんの方に点数に対する意識がないと難しい部分はあるのですが、教える側はそれに流されるわけにはいきません。生徒さんにとっても、何点を取る!という意識を持つことが出来ると、かなりその点数は現実味を帯びます。ところが生徒さんの方で、「自分は、いつも○○くらいしかとれないから・・」なんてい言っているようでは、自分で自分の点数を下げているようなものです。こういう口癖の生徒さんには、そういうことをいうから点数が下がっているということも教えるのも仕事の一つです。具体的な点数を目標点にして、これを場合によっては、保護者の方にも伝えます。本当は、そういうことを言う方がリスクですし、怖いです。ただ、教える側も後がないという状況にした方がむしろ点数は取れる可能性は上がると思います。良い点が取れたらいいな、では叶うものもかなわないでしょう。こういったことは学校のテストに限りませんよね。

大胆さと繊細さの両方が必要

2014-09-06T02:59:00+09:002014年09月06日|武蔵新城|

こんばんは。塾長の鈴木です。明日は、いよいよ西中原中の体育祭ですね。みんな、真っ赤に日焼けしています。こういった行事が好きな人が多いとは思いますが苦手な人もいるでしょう。でも、どちらにしても10年経ったら良い思い出です。今、中学生の子たちも10年後には社会人ですし。さて、ビジネスにおいても、子育てにおいても、おそらく、両方の素質が必要なように思います。例えば、大胆に決断することと、一つ一つを丁寧に判断するというようなことなどです。どちらかだけでもダメですし、また、どちらもソコソコでは、これも中途半端になるでしょう。特に経営者にとっては、この両方の素質を持っていることが重要なのだと思います。他にも、子育ても同じことが言えますが、厳しさも必要ですが、優しさも必要ですよね。そのように、何かを人に伝えたり、判断する立場にいる人というのは、両方の素質が必要なのだと思います。